日本国第八代天皇。御名は、大日本根子彦国牽尊(オオヤマトネコヒコクニクルノミコト)。
概要
父は孝霊天皇。母は皇后細媛命(ホソヒメノミコト)。
都を軽境原宮(かるのさかいはらのみや、奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社が伝承地)に移した。
欝色謎命を皇后に迎え、皇子に大彦命、開化天皇がおられる。
大彦命は後に四道将軍の一人となる。
ご自身の事跡については、全く伝えられていない。
御陵
池嶋上陵(つるぎのいけのしまのうえのみささぎ)に葬られた。
史実性
初代神武天皇の崩御後は10代崇神天皇に至るまでの間、国内には有事なく、天下はよく治まって基礎がますます固まっていった。そのため『古事記』『日本書紀』に事跡の記事を欠き、戦後は実在しなかったとの見方が通説であった。
しかし今では、都の所在地が正確で、結婚相手も奈良県盆地島南部クラスの豪族の娘でなく大和朝廷の発展を充分指摘できる記録となっており、国風諡号も当時の名辞で、御陵も平地の前方後円墳ではなく考古学的な事実と一致した記録となっており、いずれも後世の創作ではありえないことが明らかで、近年では創作説は説得力を失っている。
その他
昭和43年に稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に刻まれた、「意冨比垝」(おほひこ)と同一人物とみなす説もあり、可能性は高いが、鉄剣名に孝元天皇の皇子であると記されているわけではない。