2. 1.に由来するローマ帝国における皇帝の称号。欧州圏の他言語における「皇帝」の語源のひとつともなった。
生涯
共和政ローマ末期の混乱期に登場し、帝政ローマへの道を開いた。
若い頃は、名家のお坊ちゃんとして属州を放浪し、戦争を見物したり現地の王様と仲良くなったりと、気ままな生活を送った。
一時は弁護士を目指すが、2度続けて敗訴したためローマから逃亡。
女性との派手な交際で莫大な借金を作る。
政治の表舞台に出たのは遅く、40歳頃。
ガリア遠征など数多くの戦いで勝利をおさめ、また卓越した政治力でローマの民衆の支持を得た。
政治活動に惜しげもなくお金を費やしたために彼の借金はさらに膨れ上がり、当時のローマの国家予算の1割を占めるほどになった。
借金があまりに大きいため貸し手との力関係が逆転してしまい、カエサルは「この借金を返すには俺が出世するしかない」と主張。
困り果てた債権者は当時のローマきっての資産家クラッススにカエサルの保証人となることを依頼。
この縁でカエサルはクラッススと親交を深め、ローマのもう一人の有力者クラッススとポンペイウスの関係を仲介。
クラッスス、ポンペイウス、カエサルの3人でローマを支配する(三頭政治)。
クラッススの死後、ポンペイウスとの間で勃発したローマ内戦にも勝利し、エジプトから帰還したカエサルは終身独裁官に就任し、圧倒的な権力を手に入れローマの改革を推し進めた。
しかしカエサルはローマに王政を復活させようとしていると元老院議員の一部から拒絶反応を示され、紀元前44年3月15日、ブルータス(ブルトゥス)ら元老院派によって暗殺された。
このとき「ブルータス、お前もか」と叫んだという。
その政治路線は養子であるオクタヴィアヌス(アウグストゥス)により受け継がれ、帝政ローマとして結実することになる。
その名は西洋における皇帝名(カイザー、ツァーリ等)の語源ともなった。
文筆家としても名を残し、「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」などの名言を残した。
当時の評価
政治家としてスタートした初期の評価は借金王、ハゲの女タラシというものだった。
筋肉質で精悍な顔立ちだったカエサルは、当時のローマ人から見てあまりハンサムではなく、政敵からはよくハゲ頭を攻撃の的にされていた。
莫大な私財を惜しげもなくバラまいたため、民衆にも大変に人気があったようだ。
原資は借金だがな!
まあ、出世払いで帳消しになったので結果オーライではあったが。
借金王
世界史上、個人としては空前絶後の借金王。
その規模はまさに国家予算級。
お洒落に、友人との遊びに、女性への贈り物にと、惜しげもなく金を使い、その負債は若い頃から大軍を養えるレベルにまで達していたと言われる。
政界に入ってからは、人気取りのためのイベント運営や公共事業のために、借金が天文学級に膨れ上がった。
属州総督の役職に就いた時は、債権回収を期待した借金取りが家に押し寄せ、身動きができなくなったりしている。
また、これだけ借金ができたのは、カエサルが破産すると債券の回収が不可能となりローマ経済が混乱するほどに負債が膨れ上がっていたため。
女タラシ
一説には当時の元老院議員の3分の1が妻を寝取られたと言われている。
ジェームズ・ボンドもビックリである。
カエサルはイケメン(当時の基準で)ではないが中身の魅力で女を落としていたのであろう。人間やっぱり中身が大事。
後世の評価
「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」(イタリアの歴史教科書に掲載)
「ローマが生んだ唯一の創造的天才」(ドイツの歴史家モムゼンによる)
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