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中山兼宗の編集履歴

2023-08-25 21:54:14 バージョン

中山兼宗

なかやまかねむね

中山兼宗とは平安時代末期から鎌倉時代前期の公卿。

概要

中山忠親の子、母は藤原光房の娘、官位は正二位、大納言


プロフィール

時代平安時代鎌倉時代
生誕長寛元年(1163年)
死没仁治3年9月3日(1242年9月28日
官位正二位、大納言
主君六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇
氏族中山家
父母父:中山忠親、母:藤原光房の娘
藤原重家の娘
忠定、仲親、良豪

経歴

仁安2年(1167年)に従五位下、侍従、左少将、右中将、左中将、蔵人頭となり建久7年(1196年)に参議となる。建久8年(1197年)に従三位、後に正三位、正治2年(1200年)に権中納言、元久2年(1205年)に権大納言、建暦元年(1211年)に大納言となり中宮大夫を兼任した。建保6年(1218年)に大納言を辞任した。安貞3年(1229年)に按察使となる。


外部リンク

中山兼宗 - Wikipedia


関連タグ

公家 平安時代 鎌倉時代 中山家

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