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京田陽太の編集履歴

2023-09-05 11:10:38 バージョン

京田陽太

きょうだようた

石川県出身のプロ野球選手(内野手)。

プロフィール

出身石川県能美市(旧能美郡寺井町)
生年月日1994年4月20日
身長・体重184cm、83kg
投球・打撃右投左打
守備位置内野手(遊撃手)
プロ入り2016年ドラフト2位

経歴

小学校の2年時に軟式野球をはじめ、中学校への進学後に白山能美ボーイズへ所属すると、全国大会での準々決勝進出を経験。

青森山田高校への進学後は、1年生の春からレギュラー遊撃手に抜擢。しかし、同じ青森県内にある八戸学院光星の後塵を拝する格好で春夏とも甲子園には出場できなかった(当時は自身と同年齢で年生から遊撃のレギュラーに定着した北條史也が光星にいた)。


日本大学法学部公共政策学科へ進学すると、1年時からベンチ入り。3年時に東都大学野球リーグの春季2部リーグ優勝、昇格した秋季1部リーグで、遊撃手としてベストナインを獲得。4年時には、チームの主将を務める一方で、第40回日米大学野球選手権大会の日本代表に選抜された。

2016年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから2巡目で指名。指名の直後に出場した東都大学野球秋季1部リーグの東洋大学戦では4-3で勝利し、チーム25年振りの1部リーグ優勝を果たした。


ルーキーの2017年、3月31日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に「7番・遊撃手」としてスタメンで公式戦初出場。俊足巧打で6月からは「1番・遊撃手」で一軍のスタメンに定着し、141試合で149安打を放ってセリーグ新人王のタイトルを獲得した。

以降、プロ1年目から5年連続で100安打以上を記録し守備面でも遊撃手ではトップの座を争うなど、森繁和与田剛監督時代では十分な実力を発揮したが、立浪和義監督に代わった2022年になると攻守で精彩を欠き一時二軍落ち。打率が2割を切るなど結果を残せず、シーズン終了後砂田毅樹との交換トレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍した。


バトルフェイス京田

…というのは彼に付けられた愛称。2022年シーズン、立浪監督が「戦う顔をしていない」というコメントを残していた事に由来。

ベイスターズ移籍後はその「戦う顔」発言を元に、どんなプレーでも「バトル」とつけるネタが定着。好守を見せればバトルディフェンス、バトルフィールディングと言われ、打点付きヒットを打てばバトルタイムリー、四球を選べばバトルフォアボール(バトル四球)など、ポジティブな結果には何にでも「バトル」をつける。


関連項目

プロ野球選手 内野手 中日ドラゴンズ 横浜DeNAベイスターズ ブロッキングベース

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