迫りくる『赤』の脅威
1960年代、アジアは共産化勢力が活動を活発化させていた。
ベトナムの『南ベトナム解放人民戦線』だけでなく、
カンボジアでは『クメール・ルージュ』、
ラオスの『パテート・ラオ』にフィリピンの『新人民軍』があった。
アメリカでは「アジアの赤化統一」に危機感をもっており、
友好的な政治勢力には兵器など軍需物資を支援していた。
だがA-1やT-28は旧式化しており、その上1957年には両方とも生産終了となっていた。
これに対し、新型のCOIN機が要求されて「A-37」の開発が始まった。
『小鳥』から『トンボ』へ
基になった「T-37」はセスナ社の練習機で、
アメリカ空軍の『訓練課程の全ジェット化構想』において採用された。
初飛行は1954年10月12日。
愛称は『ツイート』または『ツイートバード』で、「さえずり」や「さえずる小鳥」を意味する。
主翼付け根にエンジンを装備する双発機で、
特徴的なのは訓練生と教官が隣同士に座る『サイドバイサイド方式』(並列複座)を採用している事である。
この方式は双方の意思疎通がしやすい利点があり、
教官は訓練生の操縦を横から見て、直接監督することができる。
戦闘機の訓練だけでなく、もちろん輸送機などの大型機の人材育成に効果的。
アメリカを含めて18か国に採用されている。
T-37
現在ではさすがに旧式化しており、1999年以降はアメリカでも退役が進む。
XT-37
1954年に初飛行した試作機。
2機製作。
T-37A
1954年から1959年まで生産された初期の生産型。
534機製造。
のちに多くはT-37B仕様に改造される。
T-37B
1959年に切り替えられ、1968年まで生産された改良型。
エンジンや航法装置を強化して449機生産された。
T-37C
照準機やガンカメラを装備し、主翼にハードポイントを追加。
翼端には増加タンクを装備しており、爆弾も装備できる。
海外向けに269機製造。
XT-37D
後述のA-37に発展する。
T-37Cよりも本格的な作戦仕様。
試作機として2機製作。
『勝ち虫』のあゆみ
T-37Bの生産ラインから39機がA-37Aへ改造され、生産が始まった。
これら生産機は1967年8月から実戦テストが始まり、評価試験が行われている。
評価試験は『コンバット・ドラゴン作戦』と命名されて同12月まで行われ、
近接航空支援(CAS)や救難ヘリの援護(RESCAP)、
果ては昼夜の阻止攻撃にと活躍した。
試験の結果は『良好』と評価され、
さっそく戦訓を踏まえて改良された『A-37B』の生産も始まった。
このA-37Bでは機体構造が強化され、増えた重量を補うためにエンジンも改良型になった。
また、空中給油の受油装置が機首に増設され、
固定武装としてGAU-2ミニガンが装備されるようになっている。