概要
辞書的な意味では、企業や政治の指導者層の円滑な世代の交代が行われず、組織の若返りが阻まれる状態を指す。日常的には、他人の意見を聞かず時代遅れの価値観を押し付ける傲慢な高齢者に対する言葉として使われる。
ストレスになり得るものが爆発的に増えた現代では、下手すると20代からこの兆候が見られる者も増加しており、老害という言葉が広まった事とも決して無関係ではない。
また、インターネット上では(年齢に関係なく)古参のファンを指して使われることがある。
この意味での老害を自称し「老害として言わせてもらうが、最近の若いファンは~」などと周囲を腐す者も珍しくない。
実際のところは、こうした凡人と違う特別な自分を主張する言動はむしろ老人どころか中二病(高二病)に近い行為なのだが…
ネット上における用法
本来の原義は「組織が老いていくことによって生じた害」なので、あくまで「若返りが阻まれている状態」を意味する用語であり、高齢者・老人への差別的な意味合いは一切ない。
しかし、現在では「過去の栄光に縋る哀れな高齢者」もあるが最も多いのが「高齢者での犯罪(主に交通関連、横暴)」といったニュースが急激に増えた事で原義とは異なる意味合いで使用されており、認知症での運転や免許返納しない考えに今は高齢者に対する侮辱・差別用語として定着している。
今生きている老人は「戦後復興を支えた礎の世代」ではなく「その世代の遺産を無碍に食い潰してあとは逃げ切るのを待つだけの、失われたX十年の元凶たる団塊の世代達」である、という若年層の憎悪や怒りで高齢者への敬意が失われつつある事も、この言葉が広まる原因の一つになっている。
pixivにおいても「若者達に暴言を吐く」「自己の利益や満足の為に社会を脅かす」ような老人を皮肉るイラストに付けられているようだ。
いずれにせよ、「老害」という言葉を乱用してると時の流れは残酷なもので、今度は自身に返ってきて突き刺さってくる可能性は0ではないのである。
サブカルチャー層における老害
先のように、ある人が「老害」になってしまう原因としてジェネレーションギャップの存在は大きい。そのため、先述のように極端な例を含めても0とは言いきれない。例えば、君が何らかのシリーズ作品のファンだとしよう。そのシリーズが長年に渡って続いていると自然と新旧のファンに知識や考えの差が生まれる。その場合に最新の作品批判をいわゆる「古参」が始めると初期世代と現在の世代で諍いが起きる。
つまり、これが新しい(若い)世代のファンからすれば、古参は「老害」となる。いずれにせよ、新しい者ができる度にこのような事が繰り返されるわけだ。どの作品とは言わないが、既に最初の実害も発生してから10年以上経過しており、現象としては既知のものとなっている。
キレる老人
昨今、日本では「キレる老人」というものがメディアにも取り上げられ、多くの共感を得ている(「老害」は差別用語であるため、メディアは使用しない)。
たとえば、飲食店において店員に理不尽な文句や罵倒を言ったり、初対面の人間に無礼な態度で接する人は若者より高齢者が多い傾向にあるとされている。
それだけに留まらず、アクセルとブレーキを踏み間違える交通事故によって若い命が絶たれてしまうケースもしばしば発生することや、世代間の摩擦もあって、今までにないほど「老害」は問題視されている(特に年配の男性は家父長的な価値観を持っている人が少なくなく、フェミニズムに感化されている若い女性とは相容れない)。
原因と予防
人間は40代辺りから脳の老化で前頭葉の働きが衰え始め、脳のブレーキ(≒自制心)が効きにくくなることで性格が先鋭化し、怒りが収まらなかったり柔軟性がなくなったりし始める(年を取ると涙もろくなるのもこのため)。
また、年齢を重ねて生活が安定していくと、良くも悪くもルーティン化した生活が新しいことへの抵抗を抱かせ考え方を保守的になりやすくさせるという側面もある。
予防法としては好奇心を持って新しいことを学び続ける事。
また、適度な運動も大事である(前述した前頭葉には運動を司っている領域もあるため)。
「もう年だから」などとあきらめずに挑戦・学び続ける姿勢が、老害になるかならないかを分けると言っていいだろう。人間の脳はいくら年を取っても成長し続けられるのだから。
日本では子が実家から独立する傾向があり、そのため独居老人が社会問題化し、老害を増やしている遠因になっているのではないかという分析もある。
事実隣国の台湾では独居老人が少なく、また老害という問題も深刻視されてないことから、日本社会の構造的な要因であるとも言われている。
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上級国民:国家公務員の官僚や、大企業の社長といった「社会的地位の高い職業」を経験した、高齢者に対する蔑称として呼ばれることもある。
姥捨て山:「老益」の民話として有名。
老益:対義語。