能見篤史
のうみあつし
経歴
ポジションは投手、左投左打。
鳥取城北高時代は川口知哉(元オリックス・ブルーウェーブ)、井川慶(元阪神、オリックスなど)とともに「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれた。
後に社会人野球・大阪ガスに入社。ケガを抱えながら活躍し、2004年自由獲得枠で阪神タイガースに指名され入団。背番号は「14」。
ルーキーイヤーの2005年は即戦力として開幕一軍入りしたが、16試合で防御率5.57と振るわなかった。翌2006年はジェフ・ウィリアムスに変わる左の中継ぎとして38試合登板。
2007年、2008年は不安定な投球が目立ったが、2009年に自身初の2ケタ勝利となる13勝を挙げて一軍に定着。この年規定投球回にも到達した。
2011年は自身初の開幕投手を務め12勝をマーク、200イニング登板を達成。2012年は中盤に調子を落としたものの2年連続2ケタ勝利となる10勝をマークし最多奪三振のタイトルも獲得、以降も先発投手陣の1人として2017年まで活躍した。2013年は鳥谷共々WBC日本代表に選ばれた。
2018年はシーズン開幕から一軍の先発ローテーションに入っていたが、投球不安定でシーズン途中から配置転換、(以降現役引退まで)中継ぎで登板し輝きを取り戻した。
2020年10月21日、来季の戦力構想外となり阪神を自由契約・退団。12月8日に投手コーチ兼任として、オリックス・バファローズと契約合意したことが発表された。背番号は「26」。
2021年は若手選手の指導も務めながら左の中継ぎとして26試合に登板。5月8日には小宮山悟と並ぶ歴代最年長での1500奪三振も記録した。
2022年シーズン、悲願の日本一を達成した(ただし登板はしていない。2014年と2021年は登板した)のを最後に現役を引退。同年には元チームメイトの福留孝介も引退したことで、1970年代生まれで最後のプロ野球選手となった(同学年の石川雅規は1980年1月と早生まれのため入らない)。
エピソード
- 打撃も好きで、「野球人生、プロで1本は打ちたいなと思っていた」と述べていた彼であったが、2013年5月6日にプロ初ホームランを放っている。
- 阪神時代に同僚だった「マット・マートン」の記事も参照。彼とのいざこざがあって以降、ネット上では「ノウミサン」と呼ばれるようになる。