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董襲の編集履歴

2024-05-20 21:46:16 バージョン

董襲

とうしゅう

董襲とは、三国時代の呉の武将。字は元代(げんだい)。

概要

揚州会稽郡余姚県の人。

身の丈八尺で、並外れた武勇の持ち主。孫策が会稽に訪れた時に彼に仕え、孫策亡き後も孫権に仕えた。


黄祖との戦いでも、水軍の長ける彼の戦法に苦戦を強いられる中、董襲は凌統とともに先鋒を務め、機転を利かせて黄祖軍の防御を破ったことで黄祖を討つことに成功する。


213年のとの戦い(濡須口の戦い)で、水軍を指揮していたが天候が荒れて船が転覆する危険性から部下から脱出を勧められたが、董襲は将軍としての職責を全うするために拒否して留まった。が、結局は突風により船が転覆してしまい、董襲はそのまま溺死してしまった。

その後、孫権は董襲の遺体を丁重に葬り、遺族に厚い経済的援助を施した。


三国志演義』では、王朗の庇護下にあった厳白虎が、王朗が孫策に敗れたことで逃亡を図ったところを董襲が討ち、その首を持って孫策に士官を申し出る。


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三国志 孫呉

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