概要
いすゞ・ビッグホーン(ISUZU BIGHORN)は、いすゞ自動車が製造・販売していたSUV。和製SUVのパイオニア的存在であった。
ドイツのチューニングメーカーイルムシャーが監修した「ビッグホーン イルムシャー」などのスポーティーグレードが設けられていたことも特徴である(初代は1987年から、2代目は当初から)。
いすゞは1992年に小型乗用車の自社開発・製造から撤退したが、ビッグホーンやミューなどのSUVは2002年まで販売されていた。
初代(1981年-1991年)
日本では未知のジャンルであったSUV(という語はまだ一般的ではなく、当時はRV=レクリエーショナル・ビークルなどと呼ばれていた)の先駆け。ピックアップトラックであるファスター・ロデオをベースに開発された兄弟車であったため、初期は「ロデオ・ビッグホーン」という名称であった。
ファスターをベースにしたことから、当初は貨物登録の2ドアボディのみに絞り、ショートバン、ロングバン、ショートソフトトップの3ボディタイプを設定。後に5ナンバーの乗用車仕様のワゴンタイプが登場した。エンジンは、ガソリン仕様とディーゼル仕様があった。
初期は外見がレンジローバーに酷似していたため"プアマンズ・レンジローバー"としてパクリ呼ばわりされ、エンジンの非力さも酷評された。またサスペンションの耐久性に難があり、マイナーチェンジでの改良を続けた。その一方でオフロードでの走行性能などクロスカントリー車としての素性の良さは早くから評価されていた。1984年に「ロデオ」のファミリーネームが省かれ、1985年にはロングボディーに4ドアが追加。1987年にはフェイスリフトを行いデザインに独特の個性を獲得した。RVブームが本格化する1980年代後半には売り上げも上向き、他の国内メーカーやGMへのOEM車の主力として活躍する。
2代目(1991年-2002年)
2代目はすべて3ナンバーの乗用車となる。バブル期の世相に乗って内装の上質化が図られた。1990年代のRVブームの中にあって、ライバル車のパジェロやハイラックス・サーフには及ばないものの堅調な売り上げを保ち、いすゞの稼ぎ頭となっていた。
モデルライフを通じてマイナーチェンジを繰り返し、特に1995年と1998年の2回はフェイスリフトや規制対応のためのエンジン(ガソリン・ディーゼルとも)の変更など大規模なものとなった。
2002年にいすゞの日本国内の乗用車完全撤退に伴い日本国内での販売が終了。その後はOEMも含めた輸出専用車としては製造されていたようであるが、2003年にこちらも完全終了となった。
OEM
初代と2代目はスバルやGM、2代目はアキュラを含むホンダ(ホライゾン)にもOEM提供されている。
GMグループでは2代目が「シボレー・トゥルーパー」として、オペルとボクスホールでは「モントレー」、ホールデンでは「ジャッカルー」の名で販売された。
スバル・ビッグホーン
1988年から1993年まで販売された。いすゞ車とは車種名だけでなく外装の違いもほとんどなく、通常スバル車につけられる「六連星マーク」の代わりに「SUBARU」ロゴがついていた。同じ車名で他社からOEM供給を受けた例は日本の自動車史上極めて稀である。
販売終了はジェミネットIIおよびアスカCXとの交換OEM契約満了によるものとされている。同車の販売終了により、事実上の後継となるレガシィグランドワゴン(後のレガシィアウトバック)が登場する1995年まで富士重工業のラインアップにSUVがない時期があった。