モロの君
もろのきみ
CV:美輪明宏
概要
シシ神の森を守護している犬神。人語を解し、高度な知能と強靭な生命力を持つ。
白の毛色に二尾の大きな山犬で5メートルは優に超える。
森を侵す人間を憎みつつも、当の人間が自身に捧げる生贄として捨てて寄越したサンを殺すことなく、二匹の実子と共に娘として側に置く。
シシ神の森を侵すエボシ御前たちを激しく憎んでおり、彼女の命を狙う。
シシ神への対応や人間へ対抗する方針を巡って猪族とは意見が対立しており、力を失いつつあることへの恐れからただ闇雲に人間に突撃していこうとする彼らの一族のことを浅はかだと断じている。しかし、乙事主とは昔は恋仲だったこともあり「少しは話のわかるやつ」と称したり、猪族の特攻への誇りなども理解している。
- だからこそ、「言葉までなくしたか」という言葉の重みがある。
- ジブリの公式アカウントも年の差カップルと称している。
タタリ神と化した乙事主に取り込まれたサンを救う為、物語終盤で命を落とした。が、エボシによってシシ神の首が落とされた直後、首だけになって一時蘇生して彼女の右腕を食いちぎってシシ神の泥の中に入って本当に死亡する。
性格
その恐ろしげな姿から凶暴な印象を人に与えるが、実際は穏やかで心の広い神様であり、人間を憎みつつ、赤子の頃に捨てられたサンを疎むことなく娘として受け入れる度量と実の母のようにその身を案じる母性も持ち合わせている。
また、アシタカのように、例え人間であっても森への敬意を失わずに立ち振る舞う者については距離を取りつつも襟元を開いて接し、口論の際に怒りの表情で声を荒げる(宮崎監督いわくこのシーンでのモロは本気で怒っていたわけではなくアシタカを試していただけらしい)ような事はあっても襲いかかったりするような素振りは微塵も見せず、相手の意見を聞きつつ理詰めで反論するという理性的な振るまいができる冷静な性格をしている。
しかし、下記のように、猪達の事を流石に面と向かっては言わなかったが内心ではその生態からか森を食い荒らす者と見なしていたり、乙事主の猪としての誇りや彼自身の焦りは理解しつつもその作戦には「気に入らぬ」として反対して協力はしなかったり(自分の子供達が戦いに参加する事は許していた)と理知的ではある一方で少々真面目すぎる部分もある。
だがそれでも全て理解した上での態度であり決して頭の固い頑固な性格というわけではない。
猪神達に対しては「森を食い散らかす」という辛辣な感想を抱いているが、自分の森でないのに命を懸けて戦いにきた猪神達の事情を考えると複雑であり、モロ自身も彼等に挑発的な態度ではあった(猪神達もかなり高圧的な態度を取っていたのでお互い様だが)が古い付き合いである乙事主を見た際は「少しは話の分かる奴が来た」と態度を軟化させており、多少見下しているような節はあるが猪そのものを嫌っているというわけではないようである。
総括するとモロの憎悪の矛先は森を荒らしたりする者や人間全体ではなく、ある一点にのみ向けられており、劇中でのモロの行動を細かく見るとその対象を討つ事だけに絞られている。
「私はここで朽ちていく身体と森の悲鳴に耳を傾けながらあの女を待っている…彼奴の頭を噛み砕く瞬間を夢見ながら…!!」
なお、モロの岩屋はまるで人工物の様な佇まいをしており、サンが人間社会に戻れる様にしつけたこと(サンの持つ人間としての知識や技術はモロがすべて教えた)、サンを養子にした際の描写から、昔はそれほど人間を憎んでおらず、人間の技術や文化に関する知識があることからも、むしろ過去に人間と何らかの交流があった可能性を指摘する声もある。
余談
宮崎駿によれば、昔の生き物そのものが今より大きかったとのことで、犬の仲間にもかなり巨大な存在達がいた(古代の熊など、犬にもどこか似ているがより巨大な生物達も他にいた)。
アフレコの際、美輪明宏は最初は「雄々しく近寄りがたい神」として演じたが、イメージの相違に迷った宮崎駿は、「実は乙事主と昔いい仲だった」とその場で美輪に打ち明けたところ、美輪の演技が艶めいて柔らかくなった。
これを聞いた宮崎は「女になったね」と嬉しそうに笑っている。
また、二匹の元となった狼や猪は、ギリシャ神話の軍神アレスの聖獣でもある。アレスは神話上では粗暴で好戦的な性格の持ち主であるが、ローマ神話においては理知的な性格のマルスとして崇拝されていた。ある意味では、マルスの理知的な性格がモロに、アレスの攻撃的な性格が乙事主へと受け継がれた様にも思えなくもない。
なお、アシタカがサンを人間界に返すように抗議してきた際に一喝した「黙れ小僧!」は、公開当時映画館で観ていた観衆をもマジでびびらせた。