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編集者:猫丸
編集内容:キャスティングの問題等の追記

概要

1971年から放送された、今や藤岡弘、の代表作ともいえる『仮面ライダー

バイク事故による降板ののち、壮絶なリハビリを乗り越え第40話「死闘!怪人スノーマン対二人のライダー」、第41話「マグマ怪人ゴースター桜島大追跡」でのゲスト出演で『仮面ライダー』復帰を果たし、第53話「怪人ジャガーマン決死のオートバイ戦」から始まる新1号編にて主人公に完全復帰。佐々木剛演じる一文字隼人/仮面ライダー2号とのダブルヒーローはメイン視聴者である子供たちに大いに歓迎された。

しかし一方で、藤岡氏は次第に思い悩むようになっていった。

「果たしてこの人気は自分の実力なのだろうか?」

というのも『仮面ライダー』が人気になり始めたのは藤岡氏の降板中、一文字隼人が主人公を担当した2号ライダー編からであったため、藤岡氏はそれにうまく乗っかっただけなのではと感じたのだという。

実際のところ、一文字が主人公を担当するタイミングでバイク免許がなかった演者の佐々木氏のために派手な変身ポーズが追加されたり、ライダーのデザインも派手なものになったりライダーガールズといった女性のレギュラー陣が増やされたりするほか様々な改善がなされた結果人気を博したのであって、一概に主演俳優の問題だけではないものと思われる。

そこで藤岡氏は自分の実力を試そうとある大胆な策に出る。

1972年10月からNHKで放送予定の『赤ひげ』に保本登役のオーディションに参加、これが合格してしまった。

ところがこのことは事前に仮面ライダーの製作側である東映毎日放送側に通達せず、事後報告という形をとった。藤岡氏からしてみれば「事後報告ならば製作側も強くは言えまい」という考えがあったのかもしれない。

だがこれに対し東映・毎日放送側は「掛け持ちは禁止」として『赤ひげ』の話を断るよう話した。

NHK側もそれに同意し、「『赤ひげ』を受けるならば『仮面ライダー』を降板しろ」と話した。

ここで藤岡氏はショックのあまり若気の至りを炸裂させ、撮影現場から失踪してしまったのである。

影響

主演俳優の突然の失踪によりライダー製作現場は大混乱に陥り、仕方なく「本郷猛が出演せず、変身後の姿のまま登場する」というエピソードの製作を行うこととなった。1号ライダーの声は声優の市川治が再復帰するまで担当した。

過去にも旧1号編で藤岡氏の入院により変身後のみの登場となったエピソードを3本製作したというノウハウがあったため、それを生かしてのことだった。

しかし当然ながら問題が発生した。

それは夏休み公開予定の劇場版『仮面ライダー対じごく大使』である。これが主役不在のため撮影を中断することになったのみならず、テレビシリーズ本編にも影響を与えることになった。

映画のタイトルからも分かる通り、新1号編からの新たなショッカー幹部である地獄大使との戦いが描かれる。

ところが藤岡氏の失踪時点ではテレビシリーズではまだ天本英世演じる死神博士が存命の時期であり、映画を公開する前には死神博士に退場してもらわなければ困る。

ライダーと戦う怪人の着ぐるみというのは事前のデザインや発注が必要で、死神博士退場エピソードを遅らせるからと言って急遽新たな怪人のスーツを作るのは不可能。

そこで、本来死神博士の怪人態として想定されていたギリザメスを第67話「ショッカー首領出現!!ライダー危し」で一般怪人に降格させ、イカデビルを死神博士の怪人態に急遽変更したのだった。

これ以外にも第66話「ショッカー墓場よみがえる怪人たち」で前述の劇場版に登場予定だった新怪人カミキリキッドを急遽再生怪人として登場させた。

怪人以外にもバイクという問題も発生した。

劇場版ではライダーの乗るサイクロン号新サイクロン号へとパワーアップするのだが、テレビではまだ旧サイクロン号のままであり、テレビで新サイクロン号をデビューさせなければならなかった。

当然だが藤岡氏失踪の時点ではまだ撮影されていなかった。

また、キャスティングの問題もあった。

それまでライダーガールズはクール単位でメンバーの交代が行われていたが、第65話までのメンバーが劇場版にも出演しており、撮影が中断された時点では出演シーンを撮り終わっていなかった。当然、そのままメンバー交代というわけにはいかないため、交代は藤岡氏が復帰するまで先送りになった。

結果、公開された『仮面ライダー対じごく大使』は歴代ライダーの中で唯一1号ライダーのみの登場となりほかライダーの客演がない劇場映画となった。また、新怪人であるはずのカミキリキッドがテレビに先行登場したため、新怪人が登場しない映画のような印象を与えることになった。

発見とその後

現場から失踪した藤岡氏はその後、公式では川崎で肉体労働をしていたところを新聞記者によって発見されたとなっているが、実際のところは伊豆方面をふらふらしていた模様。

どちらにせよマスコミによって発見されたという点は事実のようである。

この時、藤岡氏はマスコミのインタビューに答え自らの心境を明かした。

  • 「赤ひげ」のオーディションを受けたのは自分の実力を試しただけに過ぎない。俳優ならば自分のステップアップを目指すのは当然のこと。
  • 逆に現在の地位に満足している俳優の方が問題なのが現実ではないか
  • これは俳優だけでなく他の職業についても同じことがいえると思う。

これは大きな反響を呼び、藤岡氏に対する同情論的な意見が巻き起こった。

藤岡氏側に追い風が吹き、これに加え仮面ライダーは藤岡氏を主役として使い続ける以外の選択肢がなく、結局仮面ライダー製作側と話をして「主演を続ける」「赤ひげの話は断る」「今後はライダー以外の仕事を入れてもよい」という形でこの事件は決着した。

その後、藤岡氏のスケジュール調整が行われ、仮面ライダーではゲルショッカー編は敵が強くなり相討ちで行方不明になるという展開も多くなる形で本郷の出番が極力減らされる形となった。

そして、仮面ライダー以外にもドラマ『私は忘れたい』に主演。1973年には映画『日本沈没』で主演、さらに『仮面ライダー』終了後の1974年にはNHK大河ドラマ『勝海舟』にも出演を果たし、民放からも続々と出演のオファーが到来。数多くの映画、テレビドラマへ出演し今日の知名度へと繋がっていった。

事務所命令だった?

ところで、これほどの騒動を、当時まだ新人である藤岡氏が起こそうものならば普通は干されてもおかしくない中、なぜ藤岡氏は何事もなかったかのように復帰し、しかも希望通りにほかの作品に出られたのだろうか。

実は藤岡氏は後年のインタビューで、この失踪事件は「組織的な動きだった」とコメントしている。

ただ藤岡氏は「記憶から消していた」と多くは明かしていないが、当時仮面ライダーのプロデューサーである平山亨阿部征司はそもそも藤岡氏が『赤ひげ』のオーディションに参加したことやその後の失踪は藤岡氏の意思というよりかはむしろ藤岡氏が所属していた事務所の社長の命令だったのではと考えていた模様で、平山Pはそんな藤岡氏のことを考えてNHKに所属する友人に頼み込み『仮面ライダー』終了後藤岡氏の起用を確約させ、実際そのおかげで『勝海舟』に出演することが出来るようになったという。

関連タグ

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編集者:猫丸
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