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徳大寺公清の編集履歴

2024-09-25 21:02:15 バージョン

徳大寺公清

とくだいじきんきよ

徳大寺公清とは鎌倉時代末期から南北朝時代の公卿。

概要

父は徳大寺実孝、母は西園寺公相の娘、官位は従一位、内大臣


プロフィール

時代鎌倉時代末期ー南北朝時代
生誕正和元年(1312年)
死没延文5年6月8日/正平15年(1360年7月21日
官位従一位、内大臣
主君花園天皇後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇
氏族徳大寺家
父母父:徳大寺実孝、母:西園寺公相の娘
兄弟公清、性弘、洞院実世
洞院公賢の娘
実時久我具通

経歴

正和5年(1316年)に従五位下、後に後に左少将、左中将、右中将となり嘉暦2年(1327年)に参議となる、翌年の嘉暦3年(1328年)に従三位、権中納言、正慶元年(1332年)に権大納言となるが翌年の正慶2年(1333年)に後醍醐天皇が復位したため権中納言に戻された、暦応元年(1338年)に権大納言に戻り康永2年(1343年)に右大将、大納言、貞和2年(1346年)に内大臣となるが翌年の貞和3年(1347年)に内大臣を辞任、延文元年(1356年)に従一位となった。


外部リンク

徳大寺公清 - Wikipedia


関連タグ

公家 徳大寺家 鎌倉時代 南北朝時代

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