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Me262の編集履歴

2012-11-15 21:31:30 バージョン

Me262

えむいーにーろくに

ナチスドイツ、メッサーシュミットが開発した初のジェット戦闘機。水平飛行では870km/hを発揮し、当時の最速戦闘機である。だが史上初の試みに対する代償は大きく、ジェットエンジンの扱い等々の問題が積み上がったままでの戦力化であった。通称は『シュワルベ』。燕のことである。

ジェットの鼓動

1939年、ドイツは史上初のジェット機「He178」の初飛行に成功する。

この成功は当時世界中で行われていた研究への励みにはなったが、

実態は『飛ぶのもやっとの代物』であった。


一番の原因はエンジンの出力も信頼性も悪かったからである。

当時はどこもジェットエンジンの研究が進んでおらず、まだまだ研究室レベルの半完成品だった。


それでもHe178の成功は『プロペラを使わない未来の航空機!』として衝撃的なニュースとなり、

アメリカではP-59イギリスはグロスターE.28/39といった機を生んだ。

(完成は遅いが、イギリスとドイツは同時期に研究を開始している)


だが全体的に言って風当りは厳しく、レシプロ戦闘機の性能を超えられないジェット機が続いた。


科学のゴリ押し勝利

さて、初めての実用ジェット戦闘機として開発されていたMe262である。

元々He178は「ジェット戦闘機開発計画」での実験機として開発されており、

その後継であるMe262とHe280は最初から実用機として設計された。


だがHe280はエンジンの改修が間に合わず、Me262が主力を務める事となった。

(ナチ党にも都合がいい結果だが)

Me262も数多くの問題を抱えており、総合的な複雑さは目を覆わんばかりである。


例えば『加速が悪い』

当時の技術は未熟だったので、エンジンの出力調整が難しかったのだ。

またエンジンそのものの耐熱性能も低く、あまり出力を上げると燃焼室が溶ける恐れがある。

これは上昇が遅い短所にも直結した。


次に『燃費が悪い』

初期のジェットエンジン全般に付きまとった問題だが、ユモ004エンジンも燃費が非常に悪かった。

機体各所に詰め込まれた燃料タンクの総容量は2570Lになるという。

これは戦闘機としては多い方だが、実際には30分の迎撃戦闘でやっとだったという。

(しかもコクピット周りは燃料タンクだらけ)


最後は運用上の困難である。

スピードには優れる(進出能力が高い)ものの、航続距離が短いので利点を生かせなかった

また、高熱のエンジン噴射が滑走路を傷めるので、基地も制限された。

コンクリート打ちの滑走路でしか離着陸できなかったのだ。


最後は離着陸のむずかしさである。

エンジンの加速が悪くて上昇が遅いので、非常の着陸中止などが難しかったのだ。

下方視界も悪く、着陸の際は特に慎重な操作が必要だった。


この瞬間が弱点なのは明らかだった。

しかも早くに露呈してしまい、連合軍パイロットはこの時を狙った。

離着陸では別途に上空制圧が必要となり、Ta152部隊が護衛にあたった。


ベテラン専用戦闘機

このような戦闘機なので運用が難しく、操縦にはベテラン級パイロットが選ばれた。

まず加速が悪いので急旋回は禁止である。

次に燃費が悪く、上昇も遅いので出撃タイミングが難しい。

また、車輪の強度が不足気味だったので、「とても優しく」着陸する必要もあった。

(下がコンクリートなら尚更)


Me262は一撃離脱が得意な戦闘機である。

速度には優れても加速が悪く、旋回戦ではレシプロ機の餌食にされた。

なので、特性を生かすには爆撃機以外には目もくれない攻撃』が必要だった。

(機体の特性を完全に理解している事は必須)


しかし戦争も末期とあってはベテランパイロットも払底しており、

未熟なパイロットをやむなく登用する事もあった。

だが連合軍戦闘機の挑発にのって旋回戦を挑む事も多く、

その度にMe262は容赦なく撃墜されていった。


絶大火力262!

ただし火力は絶大で、武装は30mm機関砲(MK108)を4門も備えている。

これは実戦経験を踏まえた改良型で、強力な弾薬を使用できる。

その威力は戦闘機なら1発で撃墜でき、爆撃機すら4発命中すれば撃墜できるという。

Me262はすべて機首に搭載しており、

弾道が集中しやすい事も相まって絶大な威力を誇った。


ドイツ敗戦の1か月前には、さらに強力な武装が追加された。

R4Mロケット弾の登場である。(24発装備可能)

これは機銃とは比べものにならない攻撃力を持っており、もちろん1発で敵機を撃墜できる。


ただし誘導装置を備えておらず、命中は運だのみだった事は当然である。

空軍はこれに問題意識を持っており、有線・無線誘導によるロケット弾を開発中だった。

結局実戦型は完成しなかったが、後の『ミサイル』へと発展する足がかりとなる。


また、対爆撃機用に50㎜砲を装備した機も試作された。

こちらは発射速度が遅く、また照準も難しかったようで、2機だけの製作に留まった。


やっかい者の横槍

このMe262、当初は爆撃機として生産されていた。

当然、かの伍長殿のせいである。


彼は爆撃機こそが真の攻撃兵器である』と主張し、Me262に爆弾架を追加させた。

これがA-2aで、機銃を2門に減らして爆弾架を追加している。


ただし前述のとおり、低空での扱いにくさは如何ともし難く、

対地攻撃の際に墜落・撃墜される危険が大きかった。

また、爆弾の空気抵抗や重量増による性能低下も大きく、

200km/h程度低下した上に運動性も悪くなったという。


このような性能では当然、レシプロ戦闘機にすら撃墜されるのは明らかである。

それでも掃討閣下の考えは固く、

戦闘機型(A-1a)の生産許可は44年8月、しかも「爆撃機20機に1機の割合でのみ」とされた。


この考えを変えさせるのに3か月かかり、戦闘機の全面的な生産許可は11月となった。

ようやく戦闘機として放たれたMe262は本領を存分に発揮した。

一部は『エース部隊』JV44に配備され、こちらも華々しい戦果を記録している。


戦後のシュワルベ

このように強力な戦闘機だったので、戦後はソビエトでも類似の機体が生産された。

(旧Su-9

その位に強烈なインパクトだったのだ。

しかし扱いにくさは如何ともしがたく、旧Su-9も量産すらされなかった


代わって登場したのは、Me262に影響を受けたジェット戦闘機である。

例えばF-86MiG-15はMe262を含むドイツの研究成果を参考にしているし、

その後もこの2機に影響された戦闘機は多い。


つまり、Me262は世界の戦闘機開発に多大な影響を与えた、と言っても過言ではないだろう。

(いわば『孫』となるが)

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