海軍初の超音速機
開発は1952年、アメリカ海軍が超音速戦闘機を求めたことに始まる。
時はあたかも朝鮮戦争のさなか。
同じころ、空軍の方は『センチュリーシリーズ』と呼ばれる一連の超音速戦闘機を開発している。
だが朝鮮戦争では最新型機の「グラマンF9F」でさえ共産軍の最新鋭機に苦戦を強いられており、
ここに全く新しい超音速戦闘機が求められたのだった。
最初の試作機(XF8U-1)は1955年3月25日に初飛行を行い、そのまま超音速飛行にも成功した。
また、F-8では当初から機首にレーダーを搭載する事が考えられている。
従って機首先端はレーダーの為に空けてあり、それまでの戦闘機とは一線を画する恰好になった。
とんがりショックコーン
だが、これが超音速飛行の大きな助けになった。
同じエンジンで近い翼面積を持つF-100(亜音速・超音速の性能バランスがほぼ同じ)よりも、
F-8はなんと約500km/hも速かったのだ。
のちの調査で分かったことだが、原因は機首に設置されたレーダーだった。
レドームで生まれた超音速の衝撃波は上手いことエアインテイクに導かれ、コンプレッサーの働きを増幅する事が判明したのである。
これにより超音速でのエンジン出力は大幅向上し、500km/hという速度の優越に現れたのだった。
のちに他の機(たとえばF-104やミラージュ3)の設計にも応用され、「ショックコーン」として有名になるのだが、この時点ではまだ軍事機密とされている。
可変「主翼取り付け角」戦闘機
F-8では独自の機能として主翼の取り付け角を変える事ができる。
これは前作「F7Uカットラス」の反省で、『着艦の際に視界が悪い』という欠点を改善したのである。
着艦の際に主翼の付け根が丸ごとジャッキで持ち上げられるようになっており、
機首を上げて速度を落としても前を見やすいように配慮されている。
だが「主翼に重いものを積み込めない」、「整備の手間が増える」等の欠点のせいか、同様の機構をもつ機は存在しない。ボート社の次作A-7でさえフラップ追加で十分とされ、可変取り付け角機構はF-8の採用のみで終わった。
F7U「カットラス」
F7Uは「無尾翼機」という、現在の目で見ても斬新な(というか無謀に近い)形態をとっている。
これはナチスドイツから押収された資料を参考にしており、何よりも高い飛行性能を目指したのだ。
実際に(当時の艦上機として)最高速度記録を塗り替える性能を示したが、
無尾翼機特有の『低速での安定が悪い』という欠点のせいで事故を多発。
当然『未亡人製造機(ウイドウメーカー)』との汚名を頂戴し、1959年にわずか8年の現役を終えた。
F-8のあゆみ
F-8の部隊配備は1957年から始まっている。
最初の生産型F-8A(旧F8U-1)ではレーダー未搭載のまま完成し、311機が生産された。
本格的なレーダー搭載は続くF-8B(旧F8U-1E)となり、APS-67レーダーを搭載している。