1969年生まれ。東京都出身で小学生の時に大阪市に移り住んだ。当初はタレント弁護士としてバラエティ番組で知名度をあげ、政治家に転身した。
2008年38歳の時に大阪府知事に当選した。2010年、大阪維新の会を設立。2011年、知事1期目途中で辞任し大阪市長選に出馬、当選。府知事には彼の側近である松井一郎が当選した。
良くも悪くも単純明快で力強いメッセージを発することで定評がある。派手に喧嘩を売ることで耳目を集める手法を取る事が多く、選挙等ではこの挑発に乗った敵陣が自滅するなどの結果で勝利に繋がっている。
だが、小林よしのりや中野剛志の批判に激怒し、「年下の癖に俺を呼び捨てすんな」「文句言うならお前がやってみろ」と、小学生レベルのイチャモンをつけ、かえって墓穴を掘ったこともある。
大阪維新の会は考え方の近いみんなの党と連携して国政進出を準備していたが、みんなの党代表の渡辺喜美との主導権争いがまとまらず決裂。結局石原慎太郎および太陽の党と組んで日本維新の会を結成することとなった。だが、日本維新の会は本来考え方の異なる太陽の党と一緒になってしまったために政策面で迷走気味となり、支持は低迷している。
3男4女を抱える子沢山。