「我、愛を恐れる勿れ」
CV:米澤茜
概要
バンドユニット「Ave Mujica」における祐天寺にゃむのステージネーム。ユニットではドラム担当。
アニメ『It's MyGO!!!!!』第13話の劇シーンでは他の4人と同様に持ち主から捨てられた人形で、新入りのドロリスに対して煽り発言を行っており、彼女本来の性格を反映したようなキャラクターとなっている。
Ave Mujicaの1stライブ「Perdere Omnia」での劇パートでは、元の持ち主に朝起きてから夜眠るまでずっと一緒にいるほど愛されていたが、愛されすぎて壊れてしまいおもちゃ箱にしまわれて、そのまま蓋を開かれずにそれっきりになってしまったという出自が語られている。
Ave Mujicaの2nd LIVE『Quaerere Lumina』にて、まるでにゃむの腹の底を出したような台詞が発せられる。それは「話題に乗ってりゃ楽だよね、そこに本当なんてない。「アタシを好きだ」って言いながら、他の誰かに夢中なように知ってる。期待してないアタシも、アンタに 誰にも“ホントのアタシ”はあげない 愛してなんてあげないから」という一節。
この事をにゃむに照らし合わせるのならば「好意を寄せてた癖に『話題だから』という理由だけで自分以外の何かを好きになり、やがて自分から離れていく誰か」に対して、一定の同情を示しつつも諦めや失望、軽蔑などの感情が読み取れる。そのことから現在の動画投稿者になる前に「散々、にゃむを持て囃してた癖にしばらくしたら自身への注目は無くなっていた過去があったのではないか?」とも考えられる。
余談
- ステージネームの由来は「Sinus Amoris(愛の入江)」。
- 『It's MyGO!!!!!』第13話では「愛」を意味するステージネームを付けた豊川祥子にその理由を尋ねたが、返答は得られなかった。にゃむがアモーリスとして「Ave Mujica」に加入した経緯を考えると、「動画配信者としての人気を失い、愛されなくなることへの恐怖」のことを指しているのではないだろうか。偶然か下の名前だけに限っては、にゃむだけがI(愛)の母音が無い。(言うまでもなく、これは日本語でのみ通用するダジャレである。本アニメが海外でも視聴されている点を考慮すると、これは過剰考察である可能性もある。)
- U i ka(初華)
- Mutum i (睦)
- Um i r i (海鈴)
- Nyamu(にゃむ)
- Sak i ko(祥子)
- 上記のIの件に関してだが、それを裏付けるのが『にゃむち』という彼女の愛称である。ローマ字にすると「Nyamuch i (Nyamut i)」となり、I(愛)が存在する。
- あるいはにゃむの正体が、とある人物と考えた際には「かつて浴びていた周りからの脚光を取り戻したい、再び愛されたい」という理屈も視野に入ってくるだろう。実際、吹奏楽部は数十人規模で行う為、指揮者を除く演奏者の一個人が目立つのは非常に難しくなる(同じ楽器を担当する人がいれば尚更)ので、五人編成で活動するバンドは吹奏楽部よりも演奏者がより可視化されるので、よりメンバーに注目が集まりやすく、にゃむの思惑の理には適っていると言える。まるで、それを暗喩するように「時間と手間は掛けたくな~い」、「時短して、楽してワンランクアップしちゃお♪」と愛音が視聴していた動画内で発言している。
- その人物は現在、大学に通いながら地域のオーケストラに所属しているようだが、それはつまり今までとは違って「自身と同等以上の実力を持つ演奏者で構成されており、以前のような周りからの注目を感じなくなった」ということにも捉えられるのではないだろうか。それが上記の理屈にも繋がってゆくとも考えられる。
- さらに一歩踏み込むと、”地域のオーケストラ”という事は自身と同年代且つ同等以上の腕前の学生だけでなく、自身よりもキャリアや腕の立つ大人だっているだろう。どういう事かと言うと、「今までは求められるレベルが然程高くなかったが、地域のオーケストラということは自身のような大学生はもちろん、選りすぐりの技術を持つ大人だっているだろうから数段レベルの高い基準で見られるし、これまで以上の演奏を求められるということにもなる。高校時代は部長として部員達から持て囃された、大学生となり地域のオーケストラに所属して入った当初こそ、大いに歓迎されたが自身以上の技術や経歴を持つ者が現れてしまえば、自身に向いていた注目はその人物に持っていかれてしまう」とも考えられないだろうか?。
- 「悲しみ」や「死」、「恐怖」、「忘却」と他の面々のネガティブな意味に比べ、彼女のみポジティブな言葉の選出である。
- あるいはにゃむの正体が、とある人物と考えた際には「かつて浴びていた周りからの脚光を取り戻したい、再び愛されたい」という理屈も視野に入ってくるだろう。実際、吹奏楽部は数十人規模で行う為、指揮者を除く演奏者の一個人が目立つのは非常に難しくなる(同じ楽器を担当する人がいれば尚更)ので、五人編成で活動するバンドは吹奏楽部よりも演奏者がより可視化されるので、よりメンバーに注目が集まりやすく、にゃむの思惑の理には適っていると言える。まるで、それを暗喩するように「時間と手間は掛けたくな~い」、「時短して、楽してワンランクアップしちゃお♪」と愛音が視聴していた動画内で発言している。