イタリア中戦車の最期
M14/41を原型にエンジンを強化型(145馬力⇒192馬力)へ、47mm砲をより長砲身のもの(32口径⇒40口径)へ換装、装甲厚を最大50mm厚まで増大するなどして戦闘能力の向上が図られ、イタリア陸軍の次期主力候補となった。
しかし、実用化直後の1943年9月にイタリア王国が降伏。以降はドイツとその傀儡たるイタリア社会共和国によって細々と運用が継続され、最終的な総生産数は167輌程度となった。
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2025-01-24 16:36:55 バージョン
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