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東ドイツの編集履歴

2013-01-24 23:02:28 バージョン

東ドイツ

ひがしどいつ

1949年から1990年にヨーロッパに存在した国家・ドイツ民主共和国の通称。またはドイツの東部地方。

東ドイツことドイツ民主共和国は、ヨーロッパに存在した国家1990年10月3日西ドイツドイツ連邦共和国)へ吸収合併(手続き上はドイツ民主共和国を構成する各州が独立してドイツ連邦共和国に加盟)されるかたちで消滅した。(ドイツ再統一)

公用語はドイツ語、首都は東ベルリン


日本では東ドイツの国歌「廃墟からの復活」のメロディーの知名度が一部方面で抜群に高い。



誕生から消滅まで

第二次世界大戦後、連合国四カ国に分割占領されたドイツで、ソ連占領地区がドイツ民主共和国として独立した。冷戦の激化とともに、英仏米占領地域に成立した西ドイツと分断された国家となり、同国が1961年に築造したベルリンの壁は冷戦の最前線となった。


ソ連の衛星国である。共産主義を掲げるドイツ社会主義統一党による一党独裁国家。この政党は、ドイツ共産党がドイツ社会民主党を強制的に合併して成立したもの。一応他の野党もあったが、自由な活動はできなかった。ナチス時代同様の秘密警察による管理国家でもあった。

一定期間無職だと、問答無用の強制労働が課せられた。


西ドイツがアメリカ合衆国からの援助(マーシャル・プラン)を受け、好条件で戦後復興に邁進することができたのに対し、東ドイツの領域となるソ連占領地域は、ソ連から工業資産を根こそぎ接収され、鉄道も枕木ごと持ち去り、土に埋まっているガス管まで掘り返すなど、徹底的な略奪を受けた。戦後も「戦後賠償」名目でソ連から搾取を受け、広がる一方の経済格差に、西ドイツに逃亡する国民も相次いだ。


東ドイツは不利な条件下で戦後復興を成し遂げ、東欧圏の中では比較的生活水準も高い優等生国家で知られたが、それ以上に目覚ましい経済発展を遂げた西ドイツに追いつくことはできず、社会主義体制が長引くにつれ社会が次第に硬直化、70年代以降は西ドイツからの援助に頼るようになる。広がる一方の西ドイツとの格差に民衆の不満が高まり、1989年11月9日にドイツ分断の象徴であるベルリンの壁が崩壊。翌年の統一への動きが急加速した。


関連項目

ドイツ プロイセン

冷戦 ソ連

ランス 衛星国 強制労働

欧州史ヨーロッパ史


外部リンク

Wikipedia:東ドイツ(ドイツ民主共和国)

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