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大内義隆の編集履歴

2013-05-17 20:03:59 バージョン

大内義隆

おおうちよしたか

中国地方の戦国大名。

生涯

1507年に大内義興の嫡子として誕生。

父とともに出雲の大名であった尼子氏と長年にわたり抗争を繰り返し、毛利元就も服属させる。


1528年に、父の死後を大内氏を継いだ。


1532年、敵対した少弐資元大友義鑑を攻めるため、筑前に出陣。

この戦いの一時和平を成立させた一方、朝廷に運動を持ち掛け、大宰大弐に任官し、西国一の大名となった。

1534年、筑後に大生寺城を攻め星野親忠を討つ。さらに肥前にも進行し九州支配に成功。


1540年からは尼子氏攻撃を強めて、属城を攻略した。

1542年には、尼子経久の死を契機に、本城である富田月山城を直接攻撃するが失敗。


その後は政治を部下にゆだね、自らは学芸を愛した。


しかし文弱で遊芸におぼれ、そのために部下の統制が乱れ、重臣であった陶晴賢の所領を取り上げようとしたため、1551年に晴賢は謀反を起こし、義隆は自害に追い込まれた。

これにより、大内氏は事実上滅亡した。


戦国大戦

余と一緒に楽しもうぞ♪


概要

「15XX五畿七道の雄」より、他家勢力の武将として参戦。レアリティはUCで、二つ名は「末世の道者」。各所に花をあしらった雅な公家姿にデザインされている。

公家文化に浸ったせいか武力は最低の1だが魅力の特技を所持しているのは大大名の面目躍如といったところか。

所持計略『撹乱の呪い』は自身を含む範囲内の全武将の統率を大幅に下げる計略。下克上を起こした陶晴賢が「味方を巻き込むことで効果が高まる妨害計略」を所持しているため、義隆を犠牲に強力な妨害を発揮できる晴賢、という相性の良さは何とも皮肉。

余の威光で、花咲く世にしてみせようぞ


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