概要
日本国有鉄道(国鉄)から大量に引継ぎ、老朽化が進んだ103系置換及び一部は輸送力増強用などとして、1993年4月より京浜東北・根岸線及び南武線に本格投入された。これまでの鉄道車両製造・整備方法を全面的に改めた新しい設計思想(バリューエンジニアリング手法)が採用され、JR東日本では本系列以降の車両を「新系列車両」として区分している。
車両デザインは栄久庵憲司氏率いるGKインダストリアルデザインが手掛けた。1993年度通産省(現・経産省)選定グッドデザイン商品(当時)金賞・ブルネル賞奨励賞受賞。
性能などの詳細はWikipediaが詳しいので、そちらも参照されたい。
2024年12月現在、500番台が京葉線・武蔵野線、2000・2100番台が総武本線・成田線・鹿島線・内房線・外房線・東金線、2200番台が観光列車「B.B.BASE」、3500番台が八高・川越線で使用されている。
本系列はその後のE127系・E217系・E501系・701系の設計ベースとなり、さらに通勤・近郊形電車を融合させた「一般形電車」であるE231系やE233系・E331系・E531系へと発展している。
また、他JR各社や私鉄車両開発にも大影響を与えており、良くも悪くも鉄道車両史に残る車両である。
開発経緯
1987年の国鉄分割民営化後もJR東日本では通勤形電車として国鉄時代に設計された205系を引続き製造していた。
しかし、国鉄時代大量配備された103系老朽化による置換時期が近付きつつあり、また経済事情変化や民営化に伴うコストダウンの必要性から、新しい設計思想に基づく新世代車両開発が行われた。その結果、1992年(平成4年)に新世代車両試作車として「901系(→209系900番台)」10両編成3本(A・B・C編成)が登場、京浜東北線・根岸線で試用され各種構造・部品の比較検討を行った。
新系列車両開発に当たっては、「重量半分・価格半分・寿命半分」が達成目標として掲げられた。
- 「重量半分」:編成単位での総重量削減と動力車比率引下げに伴う省エネ化及びメンテナンス性向上によるランニングコスト削減
- 「価格半分」:一部に製造会社の自由を認めることと大量生産による調達コスト削減
- 「寿命半分」:後述。
「寿命半分」について
本来は、新造から20 - 30年経過した際の車両陳腐化や技術進歩の恩恵を受けられなくなること等を避けるため、税法上の鉄道車両減価償却期間の13年間を大規模な分解補修を行わずに使用。その段階で機器を更新し継続使用しても、廃車とした場合どちらでも経営上の影響を受けることがない様にするということであった。
ただし、十分な説明がないまま外部に言葉だけが行き渡ったことや座席クッション材が明らかに少ないこと、さらに座席が貧相な6ドア車イメージが強いこと、当時バケットシート不要論が鉄オタに支持されていたこと、新工法未成熟(外板の板厚が1.2mmであること)により、車体がボコボコであったこと、JR西や九州に転クロ高級車が導入される中で東ではこれであったこと等により、鉄道ファンから「走ルンです」(走る + フジカラーのレンズ付フイルム「写ルンです」)・「走るプレハブ小屋」・「平成のモハ63」等といった、有難くない二つ名を頂戴することとなる。
連日の酷使により、寿命に近付いた2000年代より初期投入車が集まる上ラッシュの酷い京浜東北線で車両故障を頻繁に起こす様になる。また、外観は車体に皺がよってみすぼらしくなっていた。強度上の問題はないとされているが、川崎重工製は他社製と比べてこの種の劣化が著しく、京浜東北線から撤退した車両のうち東急・新津製の車両が他線区に転出していく中川重製は数合わせとして残された先頭車などを除きそのほとんどが廃車となってしまった。
そして2005年、とうとう決定的なトラブルを起こす。京浜東北線蒲田→大森間で車両故障により、2時間立往生が発生。
この時、ブレーキシステムが在来車と異なるため、機関車との連結及び牽引が出来ず、同一の編成で救援に向かったが、折からの雨のため、一時起動不可能に陥ってしまった。
この間、完全空調が前提の固定式窓かつ受動型換気装置を持たない209系の車内は高い湿度と人間自身の体温により不快指数が急激に上昇。一部の乗客は最後尾の車掌室から降車、うち16名が救急搬送された。
京浜東北・根岸線用・コスト重視車両・固定式窓という条件は、戦後直ぐに発生した桜木町事故と重なるものであった。このトラブルの後、固定側面窓開閉化が、他型式や早期廃車予定車にまで緊急的に行われることとなった。
0番台では流石にやり過ぎ感もあったのか、500番台以降、続くE231系からは機器寿命が見直され、大きな修繕サイクルを15年まで伸ばすこととなった(なお製造コストはさらに下がった模様)。
そして、京浜東北線には「故障に強い車両」として主要機器冗長化が施されたE233系1000番台が投入され、0番台老朽廃車が開始されることとなる。
その後
運行開始から13年が経過し、減価償却が終了した209系0番台は当初のコンセプト通り廃車となるはずであったが……
房総地区で使用されていた113系の置き換え及び中央東線の115系置き換えの為の211系捻出用に大量の当型式を改造転用することになったのである。
そのため、実際に廃車となったのは、前述の通り主に車体老朽化でみすぼらしくなっていた川崎重工製と転用計画前に廃車となった一部初期車、使い道がなく余剰化した付随車がメインで、3次車以降の多くの車両が機器更新を受け、減価償却13年を超えて使用されることとなった。
だが、通勤型電車であるのに対し、置換先は近郊型電車である。そのため、割とがっつり魔改造を執行したためか、この時改造待ちの大量の209系を留置するためにJR東日本各地の車両センターを総動員して対応した(青森車両センターに至ってはわざわざ209系のためだけに使わなくなった留置線を復活させたりしている。なお、改造期間は2ヶ月 - 2ヶ月半)。
こうして機器更新を終えた0番台は2000・2100・2200番台、事業用車等に改造されて再就職し、324両(6両編成24本及び4両編成42本)が千葉支社へ、6両編成3本が南武線へ投入された。
結局の所、901・209系開発コンセプトは前述の通り「寿命半分」の項で将来的な選択に含み(逃げ道)こそ残していたが、実際には減価償却サイクルで廃車・代替新造が出来る様、その期間において徹底的にコスト削減をすることが開発の目的であったのであろう。早い話がJR東日本通勤電車全てを13年ごとに新車に入替え続けることである。鉄オタはともかく、普通客からは新車導入は喜ばれる。例えコッソリ座席を減らしていても。
しかし、時はバブル崩壊を迎え、東急ですら新車導入を渋る時代にその様なことは困難となっていた。
209系、その存在とコンセプトは701系、253系、E4系2階自由席、キハ120形初期型(トイレなし)等と並び、初期JRコストカット伝説の一部として残ることとなった。
また、JR東日本が開発を進め続けている電気式ドアエンジン実験にも使われた形式であり、901系で初導入されたスクリュー軸式・E231系で導入されたリニアモーター式のそれぞれの改良型を、後に乗客が比較的少ない南武線において現車試験するために搭載されたこともある。その意味では、電気式ドアエンジン開発の境目となる形式でもある。
設計
車体は205系よりも大量生産に特化した構造である。
まず、大型内装パネルや大型1枚窓採用、室内天井ユニット化、座席や荷棚を壁に直接ねじ留めするなど、内装のあらゆる部分を簡素化。カーテン省略や座席硬化は当時波紋を呼んだ。
次に、必ず守らねばならない設計を除き、製造メーカーごとに異なる工法を許容している。各メーカー毎に得意とする工法で製造して貰い、納期短縮とコストダウンを図っている(窓や雨樋など細かい違いは枚挙に暇がないためここでは省略する)。
大まかな違いとして、オールステンレス構体は川崎重工業製・東急車輛製造製で構造が大きく異なる。川崎重工はプレス成形によって製作したコの字型部材を、薄い側板に裏側から貼付け、側板に強度を持たせることで骨組みを極力省略した「2シート貼合わせ工法」を新開発。強度を確保するため、妻板にはビードが入っている。
一方、東急車輛は従来の骨組み工法を踏襲しつつも、側板と屋根板接合部を屋外に露出させ、溶接作業効率化を図っている。雨樋として出っ張っている部分がそれで、現在でも首都圏の多くの車両でみられる特徴。妻板にビードはない。
このうち、川崎重工業製車両は外板が1.2mmと薄いためか、廃車直前には車体に多くの歪みが発生しており、整備観点からも後の転用改造より除外されているため、ほとんどが廃車となっている。なお2シート工法自体は後に側板厚を1.5mmに増すなどの改良が成され、E217系を始め多くの車両に用いられている。
901系での試験結果を受け、GTO素子を使用したVVVFインバータを本格的に採用。
特筆すべきはモーターの定格出力がたった95kWしかないことである。しかも電動車比率が205系6M4Tから4M6Tに落とされており、編成全体での定格出力は205系を下回っている。これは、加速時に限って沢山の電流を流すことで、定格の1.5倍程度の出力(約150kW)で運用する、過負荷での使用を前提としているため。VVVFの採用によってきめ細やかな制御が可能となり、従来車と同等以上の性能を実現した一例である。この新型モーター「MT68」は、その後も改良が加えられ、現在でもこの系譜に属するモーターは採用され続けている。
なお、後期落成編成はE231系同様MT73形を搭載している。基本設計はMT68と同じであるが、許容回転数が引上げられている。
台車はより簡素な軸梁式軸箱支持方式を採用。補強が必要な出入口下を避けるため、空気バネ位置を通常よりも車体中心側に寄らせており、台車間距離が短くなっている。そのため、車体がふらつきやすく、直線走行時の安定性が少し犠牲となっている。なお、500番台やE217系、E231系以降は通常位置へ戻された。
また、これらの合理化と並行して車両全体軽量化も推し進められ、205系から1両当たり2 - 5tの軽量化を実現している。結果、特に加速時の消費電力が非常に少なくなり、回生ブレーキも含めた総合的な消費電力は103系から50%以上カット。さらに2世代後のE233系よりも約10%少ない。軽量化による効果は絶大なものである(ただし、置換対象となった103系と同世代私鉄車両の多くは界磁チョッパ制御により回生ブレーキを常用しているため、概ね205系と大差ない消費電力量である。それらとの比較であると30%程度の削減に留まる)。
番台区分
試作車900・910・920番台
1992年3月登場。浦和電車区に10両編成3本(30両)が配置された。当初は901系と称したが、1994年1 - 3月にかけて量産化改造を行った上で本系列900・910・920番台とされた。
詳細は「901系」の記事を参照。
0番台
京浜東北・根岸線
車体帯色:スカイブルー
在籍車両数:浦和電車区…10両編成78本(780両・最盛期)
当初は全車両4ドアであったが、1996年製ウラ36編成を皮切りに6号車に6扉車サハ208を連結することとなり、既存編成も6号車をサハ208に差し替え、外されたサハ209を他編成に組込んだ。このため、川重製・東急&新津製車両が混在する編成が発生している。当初は山手線同様、単純に増結して11両編成にする計画もあったが、ホームを延伸しなければならないため、断念した。
2010年1月に京浜東北・根岸線運用を終了。これに伴い、中間付随車サハ209(0番台)・6扉車サハ208は廃形式となった。
4両編成42本+6両編成29本分の342両改造が終了。2000・2100・2200番台となった。
南武線(本線)
帯色:黄色・オレンジ色・ブドウ色
在籍車両数:中原電車区…6両編成2本(12両・最盛期)
1993年に登場した量産車。
京浜東北・根岸線用は同年2月15日より1編成が限定運用で営業運行を開始・翌3月1日より5本が本格的な営業運行を開始した。
一方、南武線(本線)用は同年4月1日より営業運行を開始した。
前面は踏切事故対策として骨組を追加して強度を向上させた他、スカートを大形化・運転室スペースを拡大・運転台背面に非常救出口を新設した。
京浜東北・根岸線ではE233系1000番台への置換が進み、2010年(平成22年)1月17日から8日間、1編成にヘッドマークを付けて運行された。
南武線用には当初空気式エンジンドアを装備したナハ1編成が投入され、後に2本目のナハ32編成が投入された。しかし、空気式ドアエンジン部品確保が互換性の障壁となっていると判断されためナハ1編成は2200番台へ置換えられ、2009年9月に廃車となった。
ナハ32編成は、その後も運用され続け、2011年1月に行先表示器がLED化された。
京浜東北線より0番台が撤退後もただ1編成の0番台として運用されていたが、2015年2月にE233系8000番台に置換えられて運用離脱、長野車両センターで廃車解体された。これで純粋な0番台は消滅した。
500番台
詳細は「209系500番台」を参照。
950番台
E231系試作車として登場。後にE231系900番台に改番された。10両編成1本。現在は武蔵野・京葉線で運用中。
1000番台
1999年に常磐緩行線・東京メトロ千代田線列車増発が行われることとなり10両編成2本が製造された。地下鉄直通仕様とするため、先頭車長さ変更・貫通扉装備などの設計変更が行われている他、M車比率も変更された(0番台は10:4であったのに対し、1000番台は10:6)。ラストランで線路内に子供がいたトラブルが発生したが、無事ラストランを終えることが出来た。ラストランに当選したら弁当や缶バッジ、定規、クリアファイルなどが貰えた。
松戸車両センター所属。小田急線に乗入れしない運用に入っていたが、中央快速線用E233系0番台がトイレ新設及びグリーン車組込工事をすることとなったため、予備車確保目的で2018年に豊田車両センターに転属。車体帯色はエメラルドグリーンからオレンジに改められた。
基本的に東京 - 高尾間運用に充当、同駅以西には乗入れない。青梅線にはダイヤが乱れた際に営業列車として入線している。
当初は2020年度までにE233系0番台へのトイレ新設完了、併せてグリーン車導入も計画されており同年中の置換・廃車が予想されていたが、世界的な半導体不足の影響などで計画が遅れ、2025年春にグリーン車のサービス開始予定となった。なお、将来導入される予定のホームドア設置に伴う一定位置停止装置(TASC)が2024年9月8日から運用開始されることに先立ち、同年9月6日を最後に中央本線での定期運用を終了した。現在は豊田車両センターで廃車回送もされずに休眠状態で留置されている。
後にE231系800番台という本形式ソックリな車両が登場したが、台車間距離はこちらの方が短く、構体設計が異なる。
2000・2100番台
房総地域各線で運用されていた113系置換及び211系他線区転用を目的として0番台を改造した車両。番台を分けているのは4両編成を組む際に不足した先頭車を補うために仕方なく組み込んだ空気式ドアエンジン車と区別するため。
車体帯色は211系同様の黄色と青色。
主な改造内容は電連新設・強化スカートへの交換・ドア3/4閉機能・先頭車セミクロスシート化・中間車へのトイレ新設等、多岐に渡る。
なお、中間車へのトイレ新設は、空気式ドアエンジン2000番台同様の理由で最小限残した川崎重工製先頭車への補強を避けるためらしい。
2021年ダイヤ改正で余剰となった6両編成3本と一部6両編成を4両編成化するために捻出された中間車が12両廃車となった。また、6両編成2本から中間車2両を抜いた10両が伊豆急に譲渡された。
2200番台
0番台を改造した南武線専用車両。ドアエンジン方式を電気式に統一するために登場。
主制御器を更新の上、中原電車区向けに6両編成3本が配置された。
E233系8000番台に置換えられ2017年に南武線での運行を終了。最後まで残った1編成については2200番台のまま房総地区サイクリング専用列車「B.B.BASE」に再改造された。
3000番台
1996年の八高線南部区間(八王子 - 高麗川間)直流電化に備えて新造された地方線向け仕様。そのため、半自動ドア機能・ドアスイッチを備える。
車体帯色はオレンジ色とウグイス色。
川越車両センターに4両編成4本が在籍していたが、209系3500番台やE231系3000番台への置換により、2018年にハエ62編成が訓練車へ改造されたのを皮切りに2020年までに全編成が運用離脱した。
3100番台
2005年に八高線・川越線103系3000番台置換のため投入された、本形式最後の新製車。東京臨海高速鉄道70-000形(基本設計は本系列と同じ)編成組替に伴う余剰車譲渡を受けたもので、第3セクター・私鉄車両がJRグループへ移籍した初の事例となった。なお譲渡されたのは先頭車4両と中間電動車ユニット1組で、不足する中間電動車ユニット1組は209系最終増備車として新造された。
改造箇所は前面を3000番台へ合わせた意匠変更(ただし、形状は変えなかったため他209系よりやや丸く、70-000形の灯火類はそのまま使われた)、半自動ドア機能・方向幕LED化など。川越車両センターに4両編成2本が在籍していた。2022年1月引退。
3500番台
209系500番台の記事を参照のこと。
特殊用途車
技術試験車「MUE-Train」
0番台のウラ2編成を改造。MUE-Trainの記事を参照のこと。
支社訓練センター用訓練車
2008年、0番台のモハユニット3組に運転台等を取付け、大宮・八王子・横浜各支社に残っていた103系・105系改造訓練車を置換えた。
その後、2018 - 2019年にかけて、3000番台ハエ62編成を追加改造したのを皮切りに機器更新と転配を行い、新たに長野にも投入された。
その他
0番台ウラ7編成先頭車各1両が脱線復旧訓練用と駅を模した実験施設に使用されている。
他社譲渡
伊豆急
2100番台の2編成10両(マリC601編成4両・マリC609編成6両)が2021年7・11月に伊豆急に譲渡。改造や整備をした上で2022年4月に同社3000系として運行開始した。
中間車2両は部品取り。