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前代→1990年代 次代→2010年代


概要

2000年から2009年までの10年間(平成12年から21年まで)。この記事では便宜上親記事を21世紀にしているが、2000年は20世紀、2001年以降が21世紀である。2010年以降と区別するためゼロ年代と呼称されることもある。また平成の前半(1989年~2004年)と後半(2005年~2019年)にまたがる時代でもある。


世相

社会と経済

無限大な夢のあとのやるせない世の中(byデジモンアドベンチャー)の始まりである。2000年代初頭は、1990年代後半に続く就職氷河期で、中盤には団塊の世代の退職を控え一時的に就職戦線も改善がみられたが、リーマンショックで再び冷え込んだ。


2001年アメリカ同時多発テロ事件を機に世界情勢が激変する時代でもあった。対テロ戦争への協力を求められ、自衛隊の米軍傘下化が強まった。


1980年代から続く社会の高齢化が一層進む中、2000年に介護保険制度が発足。それまで家族(主になどの女性)が主に担っていた老人の介護を社会で支える体制が整った。2006年の高年齢者雇用安定法の改正によって、定年後の再雇用を行う職場も増えた。一方で就職難や若者の労働環境悪化などにより少子化に歯止めがかからず、2005年の合計特殊出生率は1.26と過去最低を記録。以降出生率は反転するものの出生数は減り続け、日本は2008年の1億2808万人をピークに人口減時代に突入した。また自殺者数もピークに達し、毎年3万人程度の自殺者が発生した。


2001年〜2006年小泉純一郎政権下では「聖域なき構造改革」と称して規制緩和・緊縮財政路線を徹底。この時代はバブル崩壊後とはいえまだまだ日本人は相対的に裕福、それゆえに格差拡大といっても第三世界の問題だろうという思い込みが強くあった。公共事業の削減は建設業を直撃し、地方では土建業者の経営破綻や事業縮小が相次いだ。トラックバスタクシーなどの運輸業界も小泉政権下の規制緩和で過当競争となり、多くのドライバーが低賃金で長時間働かざるを得なくなった。このツケは2010年代以降の建設・運輸業界の人手不足や、バスの重大事故多発といった形で顕在化することとなる。


地方経済が成り立たないようになったうえに大学進学率が向上したため、若者は大学や企業の多い大都市に集まり、東京の都心周辺では超高層ビルタワーマンションが林立。車社会の地方都市ではショッピングモールやロードサイド店舗の進出が相次ぎ、地方と東京の文化格差が埋まっていった一方で、自動車中心の街づくりへの批判も起きた。地方都市では人々の生活圏が中心市街地から郊外のロードサイドに移り百貨店の閉店や商店街シャッター通り化が目立つようになった。


少子高齢化社会を迎え社会不安が高まる中、2000年代後半には消えた年金問題などを受けて自民党の支持率が低下。2009年の民主党政権交代に至った。


コンテンツ産業

テレビ

娯楽の多様化、特にネットの浸透によりテレビ業界に陰りが現れ始めた。また、1990年代末からの(自主)規制強化により、従来過激でありながらも国民的人気を誇ったバラエティ番組などが、テンプレ内容のワイドショーや「健全」なバラエティ番組に置き換えられていった。

そして、特番シーズンでもないにもかかわらず、バラエティーや情報番組の長時間拡大スペシャルの放送が常態化し、ゴールデンタイムとプライムタイムのレギュラー放送に悪影響を及ぼした。


この時代はお台場移転を果たしたフジテレビが再び大きな力を持った時代で、『トリビアの泉』や『電車男』が有名。苦戦したのが野球と全日帯アニメで、日本テレビすら巨人戦放映を減らし、TBS横浜ベイスターズを暗黒時代に突き落とし、「アニメのテレビ東京」は規制強化で看板が失墜、テレビ朝日ニチアサキッズタイムの好調を受け『ボボボーボ・ボーボボ』などプライムタイムアニメの復活も図ったが失敗した。一方で2002年の日韓共催FIFAワールドカップを受け、サッカー日本代表の試合は地上波のビッグコンテンツとなった。2004年4月からNHK総合で放送された『冬のソナタ』は韓国ドラマとして初めて大ヒットし、「韓流」人気の火付け役となった(第1次韓流ブーム)。当時の韓流ファンの中心は中高年層だった。


鳴り物入りで始まったBSデジタル放送は2000年の放送開始以降、早速苦戦を強いられた。もはやわざわざ高い機器を買ってくれるAVマニアも減り、スポンサーも付かず、ほとんどが自社CMかテレビショッピングという悲惨な状況がしばらく続いた。鳴かず飛ばずのBSデジタルだったが、後にアニメオタクに価値を見いだされることになる。


地上波放送での大きな変化は地デジへの移行(2003年から2006年にかけて放送開始)である。これにより画質はSDからHDに格段に向上したが、B-CAS等のコピーガードにより使いにくくなった点もある。2006年にはワンセグ放送も開始された。当時はまだモバイル回線でのインターネット動画視聴が使いにくかったため、スポーツ観戦や、通勤中のテレビ視聴、若年層のテレビ視聴環境に重宝された。


テレビ受像機では、国内市場では液晶テレビを得意としたシャープを筆頭に日本メーカーが最後の輝きをみせた時代であったが、海外では静かにシェアを落としつつあった。


ゲーム

前半は、コンソールはPlayStation2携帯ゲーム機ゲームボーイアドバンスが覇権を握った。セガドリームキャストを最後にコンソール事業から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトがXboxで参入したが、後継機のXbox360も含めて日本では成功しなかった。PCゲームアダルトゲームエロゲ)の最盛期であった。


2004年に登場したPSPは、PS2に迫る高性能が衝撃を与え、任天堂以外から出た携帯型ゲーム機としては初めて一定の成功をおさめたが、ニンテンドーDSの牙城を崩すことはできなかった。2006年に登場したPS2の後継機プレイステーション3は売れ行きが伸び悩み、性能を前世代並みに抑えつつwiiリモコンという新しい体感型デバイスを取り入れたWiiがトップシェアを獲得した。しかしながら、単独でシェア過半数を占めることはできなかった。


常時接続環境の普及を背景にSteamやPlayStation Store、バーチャルコンソールなどのゲームのオンライン販売が一般化。ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。


アニメ

1990年代後半以降全日帯アニメは急激に衰退してきたが、2000年代それはさらに加速し、大手5系列でのプライムタイムのアニメはごくわずか、表現規制も強くなり、土日の早朝に子供向けアニメをやっていればいい方という状況になった。その一方、三大都市圏の真夜中において深夜アニメが最盛期を迎えた。その背景には製作・流通コストの安いDVDの普及がある。多くのタイトルがセルDVDの売り上げで利益を上げる前提となり、大量のタイトルが制作されるようになった。2006年にはアニメの制作本数がピークの306本になり、(質はともかく)量的には黄金時代だった。2000年代後半以降は動画サイト経由で深夜アニメブームが起きた。


制作現場はセル画からデジタル作画への移行が完了し、色数が飛躍的に多く使えるようになった。作画のトレンドも90年代風からグラデーションの多用、ソフトな描線へと大きく変わった。


日本アニメの輸出は1970年代から本格化していたが、日本アニメの濃い部分については知られていなかった。しかし、この時代にはインターネットを通じてファンサブ(ファンが字幕を付けたもの)といった形で海賊版が流通するようになり、日本産アニメは国外の若者にも支持を広げた。ネットを通じたアニメ配信が公式に展開されるのは動画配信サービスが本格化する2010年代になってからである。


音楽

2000年代前半はJ-POPがトレンドの中心で輝いていた最後の時代であった。宇多田ヒカル浜崎あゆみの「歌姫対決」(2001年)をはじめ女性ソロ歌手がメガヒットを連発した。しかしダブルミリオン(200万枚超え)のシングルは2003年の「世界に一つだけの花」(SMAP)が最後であり、以降、J-POPは次第に縮小・細分化の道を辿る。ロックバンドラップを組み合わせたミクスチャー・ロックが台頭、青春パンクが十代に支持される。90年代に一世を風靡したヴィジュアル系バンドはヒットチャートから姿を消し、代わりにインディーズシーンが盛り上がりを見せた。


2000年前後に現れたファイル共有サービスが「インターネットを通じて簡単に音楽を違法コピーできてしまう」と音楽業界を震撼させる。一部のレコード会社はコピーコントロールCDで抵抗したがユーザーのブーイングを浴び、2005年のiTunes Store日本開設などを機に、音楽のネット配信が市民権を得た。


他方、ゼロ年代はインターネットとVOCALOIDの普及で誰もがボーカル入りの楽曲を発表できるようになった時代であり、2007年みくみくにしてあげる♪【してやんよ】を皮切りに、ボカロ曲でヒットするものも現れはじめた。


深夜アニメブームや動画サイトブームを追い風にアニソンも徐々に台頭する。ただしまだまだ音楽業界全体で「アーティスト」意識が高かったため、扱いはものすごく悪かった。2005年のハッピー☆マテリアル騒動はその象徴である。


コンピューターとインターネット

インターネット老人会も参照)

2000年代前期のパソコンPC

電機業界は1990年代に引き続き、半導体指数関数的微細化(ムーアの法則)に依存した性能競争と価格競争に邁進。デスクトップパソコンからノートパソコン主流に変わり、「一家に一台」から「一人に一台」という時代になった。ただしゼロ年代半ばまでにPCが必要とするユーザーに一定程度行き渡ったことと、2004年にPentium4の発熱問題が深刻化したことで、このトレンドは曲がり角を迎えた。半導体を微細化しても発熱(=消費電力)がそれほど下がらなくなったため、線形的にしか性能が上がらなくなったのである。以降、PC業界はCPUのマルチコア化、64ビット化、ノートパソコンの薄型大画面化、性能を割り切った低価格ノートパソコン(ネットブック)をラインアップすることなどで需要喚起を図るが、2005年を境にPCの出荷数は減少に転じた。またこの低価格競争に日本メーカーは苦しめられ、埋没していった。


モバイルでは従来型携帯電話(フィーチャーフォン、ガラケー)の最盛期であった。第3世代移動通信システムのもとネット接続機能を強化し、モバゲーGREEなどのモバイル向けSNSケータイ小説など携帯電話をプラットフォームにした若者文化が栄えた。スマホ普及以降と異なるのは、パソコン向けサービスとモバイル向けサービスが基本的に分断されていた点である。このため2000年代ガラケー向けサービスは歴史の間に埋もれているところがある。


デジタルカメラデジタルメディアプレーヤーiPodなど)のデジタル家電も普及した。2000年代初期にはすでに携帯電話はカメラの搭載が常識化していたし、2000年代中盤になるとオーディオ/動画再生機能を備えた携帯電話も多かったが、性能に不備が多かったので、専用機のニーズが大きかったのである。


インターネットの普及初期は、パソコン通信と同様のアナログモデムによるダイヤルアップ接続が主流であった。回線速度は最大でも56kbpsときわめて低速で、しかも接続時間に応じて電話代がかかるため使いづらく、ヘビーユーザーにはテレホーダイ(午後11時~翌日午前8時限定の通話料定額サービス)が重宝されていた。それが2001年9月のヤフーの参入を機にADSLブロードバンドインターネット接続が一気に浸透(ブロードバンド元年)。やや遅れて光回線、無線LAN機器の普及も進み、「家族がパソコンゲーム機などでそれぞれネット接続を楽しむ」という使い方ができるようになった。


ネット上での情報発信は、2000年代前半までは個人サイト電子掲示板が中心だった。自作のイラストを掲載するサイトはCGサイトとかイラストサイトと呼ばれていたが、絵を探すのが難しかったのでTINAMIという登録制のWebサイト検索サービス(今のイラストSNSのTINAMIの前身のサイト)が運用されていた。個人サイトが情報を発信し、テキストサイトが芸を競い、個人の動画作品が多く生み出されてFlash黄金時代と呼ばれた。ネット発のフリーゲームでも名作の多くがこの時代に生まれている。

しかし、こうしたノンアフィリエイトのアマチュア文化は2000年代後半以降のアフィリエイトサイト台頭の中で急激に失速し、その活動の場をpixivのような投稿サイト、動画サイトなどに移している。


「巨大掲示板」の代名詞で語られた2ちゃんねるは90年代アングラサブカル文化の香りを濃厚に残しており、「他人の不幸で飯が旨い」を合言葉に誹謗中傷デマは流し放題、ヘイト活動家による工作も取りざたされる無法地帯であった。2ちゃんねるで犯行予告をする(西鉄バスジャック事件など)、悪ふざけで外部サイトを荒らす(田代祭など)といった住人による騒動も多発した。2chまとめブログが流行するとそれを通してネット世界全体に悪影響を及ぼした。欧米において2010年代に問題となった事象が、日本では10年早く現れている。


2000年代中盤からは、ネット上の個人の情報発信と交流の場はSNSブログ主力に切り変わっていった。YouTube(2005年)、ニコニコ動画2006年)が開設されると、動画の発表の場も動画共有サイトに移っていく。2007年9月にはPixivが開設、同年末には5万人のユーザーが集まった。また同年のVocaloid2音源「初音ミク」はボカロ曲を一気にメジャーにした。しかし当時絶大な人気を誇ったニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版ともいえるものだったため、ここを通じてネット住民のゲス化が激しくなっていく。


乗り物

自動車

2000年代はスポーツカー冬の時代であった。1990年代の終わり頃には既にキューブやS-MXのような背が高く車内の広いクルマが若者に喜ばれるようになっており、正反対のスポーツカーが不振になるのは必然であった。2000年の平成12年排出ガス規制を契機に、RX-7スープラシルビアなど多くの車種が製造中止になった。さらに2006年ごろから、都市部を中心にクルマ自体に乗らない「若者の車離れ」と、地方部での普通車離れ(特にセダン)が顕在化しはじめる。


2003年のイラク戦争勃発を契機に、ガソリン代が高騰。ちょうどハイブリッドカーのトヨタ・プリウスの2代目デビューが重なり、プリウスは人気車種になる一方、パジェロなどの燃費の悪いクルマは売れなくなり、スポーツカーはますます不振になった。ガソリン価格はその後も上がり続け、ピークの2008年には155円を記録。後述のダウンサイジングも手伝って、90年代のクルマは15km/Lも走ればよい方だったのが、ゼロ年代の終わりごろには20km/Lを超えない車種は燃費が悪いと評価されるようになっていく。2009年になるとプリウスの対抗馬としてインサイトが登場し、燃費競争は最高潮に達した。一方で燃費面でのメリットが大きいはずのディーゼルエンジン車は排気ガスの汚さのため嫌われ、この時期に日本市場からはほぼ消えた(わずかにルノー製エンジンを搭載し「ポスト新長期規制」をクリアしたエクストレイルが2008年に発売されている)。


2000年代は日本車コンパクトカーの品質が著しく向上した時代である。トヨタが1999年に発売したヴィッツの登場が一つの画期で、ドイツ車に匹敵する品質をそなえた初の国産コンパクトとして高い評価を得た。2001年に登場したフィットは、先行するヴィッツに並ぶ高品質とデミオをしのぐスペースユーティリティをそなえて大ヒット。ついに2002年には年間販売台数で33年間トップを守り続けたカローラを上回りトップとなった。


この時代、日本ではカローラやシビックコロナなどから、キューブやデミオやフィットなどに乗り換える「ダウンサイジング」の流れが本格化し、さらにワゴンRタントなどの軽自動車へと移行していく。


一方欧州ではダウンサイズの動きはそれほど目立たず、むしろコンパクトカーの肥大化が進む。ホンダ日産スバルなどが主戦場とする北米ではピックアップトラックSUVなどの大型車への志向が強まるなど、世界の各地域の乗用車のニーズの乖離が激しくなっていった。


鉄道

帝都高速度交通営団が民営化され、東京メトロ(東京地下鉄)副都心線の開業をもって、東京の地下鉄路線の新規開業が終了した(民営化後の東京地下鉄は、新規の大規模投資に消極的になった。既存路線の延伸計画は現在も存在する)。


首都圏では国鉄型がほぼ淘汰され、私鉄においても走ルンです亜種、A-trainなど電車の標準化が進み、大手私鉄の車両の個性は薄れた。


転落事故対策としてホームドア痴漢対策として女性専用車の導入が相次いだ。


大都市圏で磁気式定期券に代わり交通系ICカードが普及したことで移動が楽になった。


JR化後しばらく順調だったスピードアップは限界に達し、2004年のJR福知山線脱線事故は業界に大きな衝撃を与え、それまでの行きすぎたスピード競争や安全性を犠牲にしたダイヤ遵守、精神論的な社員教育といった鉄道会社の体質が見直されるきっかけとなった。事故を起こしたJR西日本は創業以来初めて一部線区で最高速度の引き下げを図った。


定期夜行列車も引き続き急速に数を減らしていった。


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