概要
現在の京都府京都市北東部の山間部にある大原地域や八瀬地域から、かつての平安京であった京都市中心部まで、農村の産出品を携えて出稼ぎに赴いていた女性商人を指していた。
古くは鎌倉時代くらいまでは木炭を売りに京都の街まで出てきていた。
これは大原地区が木炭の生産地だったからで、大原女の異名「黒木売」はこれに由来する。
しかし鎌倉時代以降、京都近隣の木炭の産地は小野に移り、大原は薪で有名になったため薪や柴を京都の街に売りに来るようになった。
大原女の衣装は明治時代を境に異なっている。
京都には他に桂女(かつらめ)、白川女(しらかわめ)、高雄の姥(たかおのうば)などの販女が訪れていた。
本来花は白川女が売り歩いていたが、白川女の衰退と共に大原女がそれを担うようになった。
なお“おおはらめ”は誤読である。
土田麦僊 作 「大原女」など美術作品のモチーフとしても多く用いられる。