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RAINBOWの編集履歴

2014-04-04 04:23:36 バージョン

RAINBOW

れいんぼー

イギリスのHR/HMバンド。

ここではバンドのRAINBOWについて解説する。


概要

DeepPurpleを脱退したギタリストのリッチー・ブラックモアが中心となって結成されたバンド。

70年代中盤~80年代中盤と1994年からの3年間、活動した。

後にBlackSabbathで活躍するロニー・ジェイムス・ディオコージー・パウエルらが在籍していた。


在籍した主なメンバー

リッチー・ブラックモア

先述にもあるよう、元・ディープパープルの名物ギタリスト。DPに比べると、リッチ―のソロプロジェクト的な要素が強く、アルバムごとにリッチーの意向が強く押し出されており、これが年代が進むにつれての作風の変化とメンバーの入れ替わりの激しさに関わっている。


当初は、エルフと言うバンドのボーカリストだったが、卓越したボーカルスタイルがリッチ―に買われて、レインボー結成に参加する。しかし、「バビロンの長城」以降の作風の変化に、反対を示すようになるなど、方向性の違いから脱退した。


COZY POWELL

セカンドアルバム「虹を翔る覇者」より参加。パワフルなドラミングに定評がある。ロニーと同じく、「バビロンの長城」以降の作風の変化に不満を抱き、グラハムが参加した「ダウン・トゥ・アース」のツアー終了後、脱退。その後は、キース・エマーソン、ゲイリー・ムーアイングヴェイ・マルムスティーンなど多数のアーティストやバンドと共演したが、1998年飲酒運転・ながら運転が原因の衝突事故で死亡した。享年50歳。


Graham Bonnet

オールバックの髪形と、サングラス、白いスニーカーが特徴。フォースアルバム「ダウン・トゥ・アース」のみ参加。たまたまラジオを聴いていたリッチーが、そのパワフルな歌唱を買って、バンドにスカウトした。しかし、元々HR/HM以外の畑で活動していたこともあって、HR/HMを嫌う発言も多く、リッチーやロジャーと衝突することも少なくなかったという。その後、「アイ・サレンダー」レコーディングの最中で、とうとう方向性の違いから脱退してしまった。脱退後は、イングヴェイ・マルムスティーンらと共に「アルカトラス」というバンドを結成。


ご存知パープルの名物ベーシストで、『ダウン・トゥ・アース』から7thアルバム『ストリート・オブ・ドリームズ』まで参加し、『ダウン・トゥ・アース』から『ストリート・オブ・ドリームズ』まですべてのアルバムのプロデュースを担当した。パープルだった以後は、イアン・ギランほど悪い関係にあったわけではなかったものの、1993年にリッチーがパープルを離脱して以降は、関係がこじれている。


グラハム脱退後の後任として、「アイ・サレンダー」より加入。「ストリート・オブ・ドリームズ」まで参加した。レインボー解散後は、イングヴェイのバンドに参加。また、レインボー在籍時のリッチとロジャーの関係のよしみもあって、解雇されたイアン・ギランの後任として、一時期ディープ・パープルに参加した。パープル参加時にはアルバム「スレイブ・アンド・マスターズ」を制作するも、かつてほどリスナーの支持を得られず、結局1992年にわずか数年で脱退している。


コロシアムⅡ、ブラック・サバスオジー・オズボーンなどHR/HM系のあらゆるアーティスト・バンドのサポートメンバーとして活動する名物キーボーディスト。グラハムやロジャーと共に『ダウン・トゥ・アース』より参加し、『アイ・サレンダー』では作曲の面でも大きな役割を果たしたが、『アイ・サレンダー』ツアー後、方向性の違いから脱退してしまう。その後、2002年に、病気療養のために脱退したジョン・ロードの後任として、パープルに加入し、現在も活動中。


・・・他多数。

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