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ホーカータイフーンの編集履歴

2014/05/12 22:05:02 版

編集者:Minor Junction

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概要

ホーカータイフーンとは、第二次世界大戦の最中、イギリス空軍が開発、使用した戦闘爆撃機であり、イギリス空軍において成功した機種の一つとして語り継がれている。

無骨ながらも勇猛な機体。しかし、その真相は・・・

恐らくは、現在でいうホーカータイフーンのイメージは、爆弾かロケット弾計8発を搭載し、地上を行軍するドイツ陸軍戦車を果敢に攻撃する姿を思い浮かべる者もいるかもしれない。

しかし、タイフーンがそのような成功者としてのイメージを持たれている一方で、意外なことに、開発時は戦闘爆撃機として活躍することは考えられていなかった。

そもそも、タイフーンはホーカーハリケーンを置き換える目的のために設計された。

その後、設計段階にあった当時は、未だに数が少なかったスピットファイアを代行できる機体としてイギリス空軍に一目を置かれ、

配備された頃には、メインの武器に20mm機関銃4門、2000馬力の出力を誇るネイピア セイバーエンジンを搭載し、イギリス軍が手を焼いていたFw190に対抗できるとして期待されていた。

もう一度言うが、戦闘爆撃機になることは、設計段階では全く考慮になかったのである

苦難の開発の道

だが、タイフーンの開発には苦難の連続が待っていた。

まず、配備された時よりも少し時間を遡るが、実はタイフーンの原型機(つまりはプロトタイプ機)による評価は、必ずしも著しいものとは言い難かった。

例としては、原型機の飛行時に大馬力のセイバーエンジンを搭載したことによって主翼の外皮が捲れるなどの弊害が発生した(もちろん、実際にはタイフーンのトラブルはこれに留まらなかったのだが、挙げればきりがない)。

続いて、そのテストを行なっていた時期が、ちょうどバトル・オブ・ブリテンに重なり、イギリスの空が戦場になっていたため「こんな(有事に)欠陥機に構ってられない!」と、一度はホーカーの技術陣が開発を投げ出し、その労力を、同じ会社で生産されているハリケーンの改良に注いだという逸話があるほどである。

それでもタイフーンが完成できたのは、技術者の一部が小規模ながらもあきらめずに研究を続行し、設計の改良を図ったことと、ドイツ空軍の戦略的ミスや、イギリスだけでなくチェコスロバキアポーランドなどからも集まった勇敢なパイロットたちによって、バトル・オブ・ブリテンでイギリス空軍が勝利できた背景にあった。

パイロットと技官たちの不屈の精神、トラブルとの戦い

さて、タイフーンの開発が前進すると、ようやく前述の配備当初の話に戻ることになる。

タイフーンが部隊に配備された当初、ドイツ空軍は当時新鋭機だったFw190を戦場に投入し始め、イギリス空軍は、スピットファイアMk.Vでの戦果が著しくないことからタイフーンを一部の部隊に試験的に投入させた。

しかし、ここまできて構造的な欠陥が露呈する。

例えば、タイフーンは構造的に急降下に弱く、尾部が折れるなどの事故が多発したことにより、俊敏なFw190を相手にすると分が悪く、打ちのめされることが多かった。

他には、コックピット内に有毒な一酸化炭素のエンジン排気が充満する、摂氏10度以下の環境下ではエンジンの稼働率が落ちて、最悪の場合は機体が爆発した例もあった。

さらには、地上から見ると、機影がFw190と間違えられて高射砲の誤射を受けるという災難にまで陥った。

これら欠陥の露呈は、タイフーンの開発が頓挫しかねない二度目の危機の到来であった。

だが、試験部隊の技官やパイロットたちは、その危機に抗うかのごとく、応急処置を施しながらどこぞの国の名銃のように、着実な改善を重ねていった。

ちなみに、その改良の中には、後に連合軍で一般化する「インベイジョンストライプ」という、白黒のストライプの塗装を機体の底面に描いたものも含まれる。これによって、タイフーンが誤射される危険性が大幅に減少したのだ。

戦闘爆撃機へと転職

そして、ようやくそれらの改善要求が加えられて完成したタイフーンは、1942年、いよいよ散々打ちのめしてきたドイツ空軍の戦闘機やFw190を返り討ちにする戦果を挙げることになり、開発と使用が続行されることになった。

だが、1943年頃になると、イギリス空軍は要撃機を必要としなくなってきた。

そこでタイフーンに代わりに求められるようになったのは、戦闘爆撃機としての能力であった。

前述にもあったが、それは当初考慮されていなかった使用法であった。

にも関わらず、転換は容易だった。

この理由としては、タイフーンのエンジン出力が高いという利点を活かした特性から、爆装をしても速度があまり落ちず、対地攻撃用にロケット弾まで装備できたからだった。

これで「タンクキラー」としてのタイフーンが誕生、と思われるかもしれないが、実はそう簡単な話ではない。

ある作戦の直前まで、タイフーンがロケット弾によってドイツの戦車を破壊できた例は少なく、この時点でドイツ軍は戦車の装甲の増強を行なっていたことから、ロケット弾による攻撃は、エンジンかキャタピラを狙わなければ効果が無かったのである。

しかし、これで「また失敗か」と言いたい人がいるならば、ちょっと待ってほしい。

実は、このある作戦というのは、あの『史上最大の作戦』として知られるノルマンディー上陸作戦であり、タイフーンもこの作戦に駆り出されていた。

そして、タイフーンはノルマンディーに上陸した連合軍の歩兵部隊を上空から援護し、輸送と通信手段、小型艦艇などを破壊することにより、ドイツ軍に混乱とダメージを与えた。

さらに、あの有名なジョージ・パットン将軍が囮になって、それを背後から狙おうとしたドイツの陸戦部隊に対し、逆にタイフーンを使用した部隊が車両81台を破壊ないしは損傷させた。

続いて行なわれたドイツ軍の反撃に対しても、タイフーンの部隊がこれを阻止した。この反撃では、述べ2000発以上のロケット弾と合計80トン近くの爆弾が使用された。

これらの戦果により、戦術攻撃機として優秀な機体であることを証明したタイフーンは、現在もイギリス空軍の歴史上で語り継がれる存在となり、ドイツ陸軍に対して勇猛な攻撃を加えたイメージとして記憶されることになった。

テンペストの開発へ

「鳶が鷹を生む」ということわざがあるように、タイフーンの設計は後のホーカーテンペストの設計に活かされた。

この「テンペスト」という機種だが、元々はタイフーンの改良型として設計された機種であり、イギリス空軍の主力であったスピットファイアやハリケーンを凌駕する優秀な性能を持った機体として生まれ、敗走と反撃を繰り返すドイツ軍を追撃してトドメを刺すことになった。

そして、テンペストは、あのツンツンメガネなガリア貴族のウィッチの元ネタである自由フランス空軍のエースパイロット、ピエール・クロステルマンによって愛用され、数々の戦果を残すことになった。

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