概要
初代
1964年にデビューしたが、(装備の変更やエンジンの載せ替えと言った中身の変更こそありはしたものの)1987年まで22年間同じ型だった。ゆえに走るシーラカンスと呼ばれ、バカにされた。
どうしてこうなった、のかと言うと、本来であればトヨペットクラウン、プリンスグロリア、日産セドリックの競合車種として開発・生産・販売した、はずだったのだが、あまりに一般層からの受けが悪く、いつの間にか三菱財閥系企業御用達ショーファードリブン専用車と化してしまったからだった。まぁそういうのになってしまった車に金かけても、ねぇ……。
2代目(デボネアV)
1986年にようやく登場した。しかし後述のように、「高級車を作りたい」ヒュンダイと「V6エンジンが欲しい」クライスラーが三菱に頼ったためモデルチェンジできたという経緯がある。
逆に言うと、もし当時の三菱がこの2社と繋がっていなかったら・・・?
「三菱財閥系企業ショーファードリブン専用車は、イヤだー!!」とばかりに、ドイツの自動車チューナーのアドバイスを受けて開発した「AMG仕様」や、イギリスの高級ファッションブランドを内装に採用した「アクアスキュータム仕様」など、一般層を意識した仕様を送り込んだものの、その一般層からはあまり受け入れられずに終わった。しかも追い打ちをかけるかのように1990年にディアマンテが登場してしまう……。
3代目
1992年に3代目に交代した。しかしバブル崩壊もあり、やはりというかなんというか三菱財閥系企業ショーファードリブン専用車でしかなかった。結局1999年いっぱいで生産・販売を打ち切った。これにより35年の歴史に幕を閉じた。
一部外板パーツが韓国製だとも言われるが、正直言うとこれが真実だとしてもデボネアよりグレンジャーの方が売れるんだから仕方ないねと言わざるを得ない。
総じて
この車は、三菱財閥系企業ショーファードリブン専用車として、その生涯をささげた、と言っても言い過ぎではないだろう……。
なんか切なすぎるだろ。
ちなみにグレンジャーは韓国で国産高級車としての地位を不動のものとし、「模範タクシー」の鉄板車種となっているのだが・・・。ほんとに日本では・・・どうしてこうなった。
関連タグ
ヒュンダイ・グレンジャー:初代は2代目、2代目は3代目デボネアの現地生産車であった。ちなみに、デボネアの脱「走るシーラカンス」達成には「ソウルオリンピックのVIP遭遇の為に国産高級車が必要」というヒュンダイ側の事情が絡んだように、グレンジャーの存在が大きい。
クライスラー:これまたデボネアの脱「走るシーラカンス」達成に貢献した、アメリカの自動車会社。1986年当時、三菱自動車はここと業務・資本提携を行っており、ここ向けにV6エンジンを開発したことっで、次期デボネアにも搭載(流用)できるようになった。