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青函連絡船の編集履歴

2015-06-11 13:09:01 バージョン

青函連絡船

せいかんれんらくせん

かつて国鉄・JR北海道が運行していた本州と北海道を結ぶ鉄道連絡船。青函航路。

1908年より1988年まで青森駅青森県青森市)と函館駅北海道函館市)の間を津軽海峡を通って運行されていた国鉄JR北海道の鉄道連絡船。貨車の航送も行っていた。


1925年からは車両を直接車載する貨車航送を開始した。


1945年7月14日、津軽海峡及び北海道はのべ3000機以上の米軍機の一斉攻撃を受ける。特に青函連絡船は全連絡船12隻のうち10隻が沈没(440人の船員が死亡)、2隻が重大な損傷を受けて、青函航路は麻痺状態になった。


また、1954年9月26日には洞爺丸台風に伴う暴風雨が原因で、航行中の洞爺丸が函館郊外の七重浜に座礁し転覆、死者・行方不明1,761名を出す大惨事となった。他に僚船4隻が沈没した。


高度経済成長期の到来とともに旅客・貨物運送が激増し青函連絡船は絶頂期を迎えるが、その後は旅客機の普及により旅客需要が激減。


青函トンネルを含む津軽海峡線の開業に伴い廃止された。ただし、この年の7月から9月までに青森と函館で行われた博覧会(青函博)の観客輸送のため一日2往復復活運行されたため、正式に廃止されたのは1988年の9月19日であった。


関連タグ

国鉄 JR北海道 連絡船 橘(駆逐艦)

津軽海峡・冬景色

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