概要
仏教において、最も克服されるべき対象である、人間の諸悪・苦しみの根源とされ、可能な限り取り払うべき煩悩であり、それぞれ『貪』(とん) 『瞋』(しん) 『癡(痴)』(ち)の三つに大きく分けられる。
三毒の内の『貪』と『癡』の多くは『瞋』に結びついており、『瞋』をしっかりと捉えれば『貪』と『癡』にもアプローチできるようになるとされている。
三毒の詳細
煩悩の数は、俗に108個あり、最大では84000個あるとされるが、最少ではこの三毒のみとされており、他の煩悩は全てこの根本たる3つから派生したものとされている。
貪
必要以上に求める・貪る心。ありとあらゆる強欲の感情、深い欲・欲望のことで、『貪欲』(とんよく)とも言われる。
瞋
『瞋恚』(しんに)とも呼び、平たく言えば怒りの感情のことであるが、仏教においては『軽蔑(軽視・蔑視)』『不安』『嫉妬』なども怒りの表れとされている。
癡
『愚癡』(ぐち)とも呼ばれ、仏教における世の真理『法(ダルマ)』(『無常』など)を理解できておらず、『無知』であることを意味する。
注意
誤解がないように解説すると、これらは感情が「過剰に持っている」または「支配されている」から罪になるのであって、一切持ったり感じたりしてはいけないわけではない。
むしろこの世で生きていくためには、必要最低限は必要である。
例えば欲が無ければご飯を食べたいなどと思えなくなるし、怒りを感じなければ人を叱ったり出来ない。
悪いのは、それらの感情を過剰に抱き、それに執着して支配されてしまうことであり、過剰な欲は強欲となり、過剰な怒りは軽蔑心や嫉妬心となって、やがて他者のことなどを何も考えなくなり、人やこの世に害をなす存在になり下がり、それゆえの逃れられない苦しみを受けることになる。
上述したが、特に過剰な怒りは、軽蔑心や嫉妬心となると、その対象を貶めたり苦しめたりすることで、優越欲や支配欲に浸るという強欲にも繋がっている。
更にそれらに執着してしまうことによって、この世のあり方・真理に盲目(無知)になり、悪い生き方・いい加減な生き方になってしまい、その結果起こりうる苦しみに苛まれることになる。
逆に言うと、怒りさえ上手く抑制してコントロールし、克服してしまえば、強欲や無知を克服するのも楽になるということでもある。