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リシュリューの編集履歴

2015-11-17 17:44:49 バージョン

リシュリュー

りしゅりゅー

フランスの歴史上の人物、及びそこから名前を採られた戦艦

リシュリューとは

  1. 実在の、フランス宰相にしてカトリック教会の枢機卿。リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシ。
  2. 1.の人物をモデルとした、『三銃士』及びその派生作品の登場人物。
  3. 1.の人物に端するフランスの爵位。
  4. 1.の人物から名前を採られたフランス海軍の艦艇。特にリシュリュー級戦艦とそのネームシップを指す。
  5. モンスターストライクに登場するモンスター。リシュリュー枢機卿→魔真卿リシュリュー→暗黒司祭リシュリューの順に進化する。
  6. 4.を擬人化した戦艦少女の登場キャラ。黎塞留のタグが付けられる。愛称は黎姐。2014年11月1日に行われた抽選会イベントの参加者の内、一人だけに贈られた。後日他のユーザーでも入手できるようになった。こちらの記事(外部リンク)かこちらの中国語記事も参照(外部リンク)。

Richelieu为解放家园而战!

故郷の開放のために戦います!提督、力を貸してください!

お前ヴィシー政権の手先だっただろと突っ込みたくなるが、あれはあれで植民地の防衛のために戦っていたので言ってはいけない。

1.の史実のリシュリュー

私の第一の目標は国王の尊厳。第二は国家の盛大である

 

信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ

 

(1585~1642年)

フランス国王ルイ13世の宰相を務め、中央集権体制確立と王権強化、行政組織の整備、文化政策などで絶対王政の基礎を築いた。

「フランスを服従させ、イタリアを恐怖させ、ドイツを戦々恐々たらしめ、スペインを苦悩させた男」と呼ばれ、生涯を通じ国内外に常に無数の政敵がいた。

性格的には陰気で癇癪を起こしやすく、一方でひどく塞ぎ込むこともあり、時には周囲を驚かす程に泣き出すこともあったと伝えられているが知人への手紙で「あれは全部演技」と書き残している。

先の丸いテーブルナイフはリシュリューの発案とする逸話がある。

マイナーな存在であったボルドーワインをパリに持ち込み広めたのはリシュリューと言われる。

当時の聖職者としては珍しく猫を飼い、特にルシファーと名付けた黒猫がお気に入りであった。


ペンは剣よりも強し

リットン男爵の戯曲「リシュリュー」の劇中の言葉。

「暴力に屈することなきジャーナリストの矜持」のように取られがちだが、実は敵対者たちを「俺が書類にペンで署名すればお前らの人生なんて終わる」と脅している。

ペンは剣よりも強しを参照。

 

2.の三銃士のリシュリュー

フランス王国の宰相。王妃と政治的に対立しており、王妃の味方の三銃士・ダルタニャンたちと敵対する立場にある。

アラミスに「赤公爵」とあだ名される。

1973年の映画『三銃士』ではチャールトン・ヘストンが、2011年の映画『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」ではクリストフ・ヴァルツイングロリアス・バスターズハンス・ランダ大佐役の人)が演じた。

 

リシュリュー宰相

アニメ三銃士のリシュリュー:(CV:田中信夫

 

老いらくの恋

人形劇新・三銃士のリシュリュー:(CV:江原正士

 

大人組×ダルタニアン

マスケティアのリシュリュー(イラスト右)

4.のリシュリュー級戦艦リシュリュー

フランス戦艦・リシュリュー

リシュリュー級の記事も参照。

 

海軍休日明けにフランス海軍が生み出した戦艦であり、フランス最後の戦艦の艦級となったリシュリュー級の一番艦。完成した同型艦にジャン・バールがある。

リシュリューの名を冠する艦は他に装甲艦リシュリューがあり、この艦は二代目である。

 

戦艦は進化するにつれて主砲塔の数は少なく、砲塔1基あたりの門数は多くなる傾向にあるが、リシュリュー級はその極致ともいえる4連装2基であり(砲塔の中央に強固な隔壁があり、左右2門ずつ戦闘室が独立している。実質2連装砲塔×2×2)、いくら防御力が高まるとはいえ、砲塔が一つダメになると火力半減という危険を冒しているのはアグレッシブである。さらに2基の砲塔を前部にまとめ、重要防御区画の短縮で浮いた重量分を装甲に充て、強化を図っている。主砲口径は、当時の欧州標準と言える38センチである。速力も30ノットを発揮可能で、時代に沿っていると言える。マストと煙突を合体させたMACKの元祖。


第二次世界大戦では、ドイツのフランス侵攻時点でまだ工事中であり、急遽北アフリカのフランス植民地に脱出することになった。ダカール港でフランス艦船がドイツの手に落ちることを恐れるイギリス軍により攻撃を受けたが、多少の損害は受けたものの沈まず、逆にイギリス海軍の戦艦バーラムに命中弾を与えこれを撃退した。植民地のフランス軍が連合国側に付いたのちは、ブルックリン海軍工廠(アメリカ)で完工工事と修理を受け、各地で作戦に参加、インド洋方面から日本軍とも交戦している。その際日本の妙高型重巡洋艦羽黒の迎撃に参加するも、結局戦うことは叶わず、一度も枢軸国の軍艦と戦わないまま1945年に日本の降伏調印式に臨席し、第二次世界大戦を生き延びた。

その後は第一次インドシナ戦争に参加したのを最後に保管船となり、1968年に解体された。

 

現在、ブレスト港にはリシュリューの主砲1門が展示され、後世に名残を留めている。

 

試航で予定を上回る31ノットを叩き出した。このクラスの戦艦でこれを上回る速力を出したのは防御力と高速時の安定性に問題があるアメリカのアイオワ級だけである。


関連タグ

フランス海軍 戦艦 高速戦艦

ダンケルク(前級の1番艦)


外部リンク

wikipedia

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