社民党
しゃみんとう
※当項目では日本の政党について扱っています。世界各国の社会民主党について⇒社会民主党
社会民主党〈Social Democratic Party of Japan〉
(しゃかいみんしゅとう)
歌 インターナショナル日本語訳
党綱(社民党宣言〈編集〉)
『格差のない平和な社会を目指して』
- 現在の自由主義、経済市場社会による矛盾により起こるテロ、紛争、などと厳しく対峙できるのは社会民主主義だ。
- 新たな世界史の流れは社会民主主義だと確信している。
- 保守層による改憲運動を阻止し「もう一つの日本社会」を提唱する。
- 「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する社会を目指す。
- 弱者切捨ての「小さな政府」の是正を目指す。
- 誰もがともに生きていくことができるよう、連帯を柱に据えた共生社会を目指す。
『私たちの社会民主主義とは』
- 社会民主主義の理念をめざすすべての人々に門戸を開いた政党。
- 「平和・自由・平等・共生」を掲げる。
- 戦前の植民地主義の加害者であることを踏まえた平和。
- 人々が自らの目標を定め、実現していく自由。
- 一切の差別を否定し、すべての人々に社会参加の機会と権利を保障する平等。
- 人間が人間らしく生きることを社会全体で支え、アジアや世界の人々との共存。
- 自然環境との調和を目指す共生。
- 『政策の基本課題』
- 社会的な規制による公正な市場経済
- 生きがい、働きがいの持てる労働環境
- 公平で持続的な税財政
- 社会の連帯を柱とした社会保障
- 豊かで多様な自治の展開
- 世界の人々と共生する平和な日本
- 公正な国際経済と平和を基礎にしたアジア経済圏
- 両性平等社会の実現
- 豊かな自然環境を次世代に
- 食と生命の安全を担う農林水産業
- 一人ひとりを大切にする教育の実現
- あらゆる価値観を保障した創造的文化
- 民意を反映する政治への改革
『改革の道筋』(平和・自由・平等・共生)
- 人々の生活に密着した地域に主権を移す分権を促進させる。
- 市場の自由化を阻止し、生活者の立場から様々な課題に取り組む市民運動、非営利団体(NPO)などの活動、さらには社会の進歩と改革を担う学者や文化人とネットワークを結び、改革を進める。
- 徹底した情報公開によって議会制民主主義が役割を発揮できるよう監視する。
- 新自由主義・新保守主義の政治の転換を求める政治勢力と連携し、緊張感ある連立政権の形成を展望する。
- 「もう一つの日本社会」を実現させる挑戦に、若い世代から高齢者まで、すべての人々が参加してくださることを呼びかける。
日本における「社会民主党」は複数存在し、明治34年に初めて結成された際は即日に官憲によって禁止処分を受けている。現在の社民党が出来る前の「社民」としては社会党から分派した「社会民主連合」(社民連)などが知られる。現在の社民党は、社会党の流れを汲む政党で平成8年に結成されている。結成当初は自民、さきがけとの連立政権時代で、与党であった。当初は自民寄りであったが、旧来の反自民の姿勢から、これに対する反発勢力も多く、結成時にも旧社会党の半数が民主党(現在の民主党の母体であるが、組織としては別)に合流している。年を重ねるごとに、分裂、縮小傾向になっていく。平成10年に連立離脱している。
村山富市体制時代
1996年1月に社会党からこの名称に変更、党首は既に首相を退任していた村山が務め橋本龍太郎内閣にも参加。しかし30人が鳩山由紀夫らの新党構想に応じて離党、10月の衆議院選挙を前に村山は代表を土井に譲った。
土井たか子体制時代
辻元清美ら市民運動家出身の「土井チルドレン」と呼ばれる新人達を積極的に国政に送り込んだ。1998年5月に連立政権を離脱。党内の左派が新社会党として分裂し、さらに辻元の不祥事や北朝鮮拉致問題への対応の失敗から2003年の第43回衆議院議員総選挙で惨敗して党の縮小が加速する。この選挙では党首の土井自らも落選し代表の座を退いた。
福島瑞穂体制時代
平成14年(2003年)から福島瑞穂が代表に就任、4期まで務めた。平成18年には一度は容認した自衛隊を再び違憲と主張、再度方針転換をしている。選挙を戦っては党滅亡の危機に晒されながら、解党だけはまぬがれているものの凋落の勢いはさらに増していた。本部施設をTVドラマロケに貸し出して糊口をしのいでいたものの老朽化が酷くなってそれも出来なくなり、建物改装もしくは処分する費用(国有地であるため処分する際は更地にする必要がある)も捻出できず、本部職員のリストラをするまでに至っていた(社会民主主義を標榜しているくせに…)。2012年の衆議院選挙前には阿部知子が日本未来の党へ逃げ、反原発票・市民運動家票を同党と食い合って共倒れする結果となり衆議院議員がわずか2名という体たらくとなった。2009年の参議院選挙でも惨敗していたため参議院合わせても国会議員がわずか6人という泡沫政党になり果て、ついに2013年に本部の建物を手放し土地を国に返還することになった。さらに、東日本大震災の復興予算の一部を党本部の耐震診断の費用に流用していたことが判明。これまで復興予算の流用を国会で批判していた社民党が流用するという本末転倒ぶりに批判の声が上がった。さらに2013年の参院選でも敗北、国会議員4名という政党要件すら危ぶまれる状態となった。この大敗の責任を取り、10年にわたって代表を務めた福島瑞穂は代表を同年辞任した。
ネット上の評判
ネット上では特に評判の悪い政党の一つ。理由としては、第一に、保守的な論調が主流になりやすいネットにおいて、自衛隊の否定などの急進的姿勢や、何かと中国・韓国寄りと見なされる主張が目立つからとされる。また、左派に属する立場からも、政権に参加している時は自衛隊の海外派遣反対などの基本的な主張も封印し、政権から離れればまた元に戻るといった主張の一貫性のなさが批判されることが多く、頑固にぶれない姿勢を貫く日本共産党、もしくは旧社会党の流れをくむ議員が所属する民主党(この党は一貫性のなさに関しては社民党以上なのだが....)へと支持が流れる一因となっている。
一方で、個人主義傾向の強い左派・リベラル派からは個人の自由や人権擁護に積極的な姿勢が評価されている。特に児ポ法やインターネット検閲などの表現規制に関しては明確な反対姿勢をとっている。元々党内にはフェミニズム系の議員も多く、ポルノ規制積極派もいたのだが、当時のトップの福島瑞穂が表現についてリベラルな考え方の持ち主だったのと、保坂展人らの奔走もあって、表現の自由重視の姿勢でまとまることができた。