アポロ計画
あぽろけいかく
概要
冷戦下の米ソ宇宙開発競争のさなかの1961年、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1960年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表した。1969年7月20日、宇宙飛行士ニール・アームストロングおよびバズ・オルドリンがアポロ11号で月面に着陸したことにより、その公約は実現される。アポロ計画では、事故で着陸を断念したアポロ13号を除いて合計6回の月面着陸が行われ、1972年にアポロ17号までのすべての月飛行計画は終了した。
月面着陸の過程
サターンVロケットにより、3人の宇宙飛行士が搭乗した司令・機械船(Command / Service Module)と月着陸船(Lunar Module)が月へ向けて打ち上げられる。
司令・機械船と着陸船がドッキングした状態で月周回軌道に入り、着陸船に2人が乗り移り、司令・機械船と離れた着陸船は降下しつつ逆噴射で減速し月面に着陸する。
着陸船は下半分を月面に残し離陸し、周回軌道上の司令・機械船とランデブー・ドッキングし、2人は司令船に戻る。
その後着陸船を切り離し、司令・機械船は月を離れ地球に向かう。大気圏突入の際、3人を乗せた司令船の部分のみが地球上に帰還する。
月面着陸ねつ造疑惑について
よく、バラエティ番組がアポロ11号は月面着陸をしていないとし、様々な証拠映像や証言を流し、結局うやむやにして疑惑だけを膨らませているが、
これは番組自体がガセややらせである。
アポロ11号の月面着陸に関する疑惑については、とうの昔にNASAから、全て説明の付くものが公開されており、今更騒ぎ立ててもばかばかしいといった印象で反論されているのが実際である。
そもそも当時アメリカの敵国であったソ連の技術者、世界各国からの技術者30万人以上をだまし、月面着陸を捏造するのは、現実的に考えてもおかしく、メリットも皆無である。そもそも11号の月面着陸に至るまでに必要となる重要なデータ取得のために4~10号までが打ち上げられており、それだけでもかなりの大金が掛けられていることは想像に難しくない。唯でさえ金のかかるロケットを何機も打ち上げてまで捏造するくらいなら初めから本気で月面着陸を試みるか、冷戦のための軍事予算に回したほうが遥かに有用である。
日本のテレビ局が流した疑惑も、全て、地球上での物理法則しか考えていない、あまりに浅はかな知識での疑惑と評されている以上、全てガセである。
(この疑惑に賛同している科学者と名乗る人物も、ほとんど売名目的のヤラセである)
月飛行計画が早々に終了した理由は、あまりにも金がかかりすぎるためであり、それだったら地球上の様々な問題を解決する必要が有るため、である。
当時のSF作品が飛躍しすぎていたので、逆に疑われてしまうのだ。
歴史ある「ねつ造論」
アポロねつ造論の歴史は意外に古く、その“奔り(はしり)”はアポロ計画の直後、1970年代まで遡る。聖書の記述をかたくなに信じる、いわゆるキリスト教原理主義(根本主義、キリスト教右派)者にとっては、アポロが撮影した丸い地球の姿はとうてい受け入れられる現実ではなく(聖書の記述では“アース”は平面であるとされている)、アポロ計画そのものを“でっちあげ”に仕立てようと躍起になったのである。
(参照;『人類の月面着陸はあったんだ論―と学会レポート』など)
その後、このねつ造論に乗っかった形で映画『カプリコン1』や、イギリスのTV番組『第三の選択(Alternative 3)』などが制作された。これらはあくまでネタとして採り上げたに過ぎない(『第三の選択』の放送日はエイプリルフールだった)が、純朴な視聴者の中には真に受ける者もいた。
ただし、日本においてアポロねつ造論が一般に広く知らしめられ(あるいは信じられた)のは、2000年代に入ってからである。
政治的背景
日本におけるアポロねつ造論の隆盛に、“政治的背景”を指摘する意見も多い。
アポロねつ造論が盛んに採り上げられた2000年代は、9.11と、続くイラク戦争に絡んで反米感情が高まっていた時期と一致しており、テレビ局がアメリカに対する反感に便乗、あるいは煽りたかったという意見である。
アメリカ側の事情を付け加えるならば、2000年代は保守派のジョージ・W・ブッシュ政権の元、アポロが月に着陸したと認めたくないキリスト教原理主義勢力の全盛期でもあった。
インターネットの普及と拡散
ねつ造論が大々的に採り上げられるようになった2000年代はインターネットが一般に普及した時期でもあった。
日本でも“9.11”以前からいわゆる“トンデモ本”や、パソコン通信、普及初期のインターネットなど、ローカルなコミュニティでは、ねつ造論がまことしやかにささやかれていた。目ざとく(?)、噂好きな先駆者達の間で燻っていた火種に、デマや噂話に免疫のない新参のネット民達が触れ、延焼してしまった可能性も考えられるのだ。
2000年代にねつ造論の急先鋒だったある人物の第一声も、書物やテレビ番組ではなく、ブログであった。
これらの“背景”が、実際にどれほどねつ造論の拡散に影響したかは不明である、というより検証不可だろう。
ともあれ、アメリカがイラク戦争に行き詰まり、オバマ政権に交代して以降は、反米感情が緩和されたからか、それともねつ造論自体が論破され、オワコン化してしまったからか、アポロねつ造論を採り上げる書物、テレビ番組は、急速に姿を消していった。