二式水上戦闘機
にしきすいじょうせんとうき
代打手は二式水上戦闘機
昭和14年(1939年)、水上機により島嶼防衛のための航空戦力を補う目的で海軍は本格的な水上戦闘機「15試水上戦闘機(のちの『強風』、これは後に「紫電」となり、「紫電改」)」の開発に着手するものの、開発作業は難航を極め太平洋戦争の南方侵攻作戦には間に合わない事が明白となった。
そのため急遽開発されたのが、零式艦上戦闘機にフロートをつけたような航空機である『二式水上戦闘機』である。
ゼロ戦との違い
二式水戦は三菱零戦11型を基にフロートを追加し、直接着水するため機体や電気系統に防水処理や防錆処置を追加し、軽量化などのため着艦に必要なフックやタイヤ等もすべて撤去したものである。
また、安定性を高めるために垂直尾翼を増積して、方向安定板も追加した。フロート絡みの部分以外はかなり零戦に準じている。
実戦
この航空機はいくら高性能であると言っても、それは『水上機としては』という但し書きが加わる。フロートの分ゼロ戦よりも性能が落ちていたこともあり、グラマンF6F戦闘機やブリストルボーファイター(第二次世界大戦でイギリスなどの空軍が使用した双発の重戦闘機、オーストラリアから飛来する)の撃墜記録もあったが、既に性能は戦局に応じたものではなく、1943年に生産は終了したものの、その後も使用され終戦まで使用された。
総生産数は327機。これは水上戦闘機として世界最多の生産数である(ただし水上戦闘機という機種自体を第二次世界大戦においてまともに使用したのは日本くらいのものである)。
なお終戦時には24機が残存(うち22機は内地)していたが、すべて処分(一部は連合国により焼却処分され、その写真が存在している)されていて現存機体は無い。そのうちインドシナに残されていた1機は、フランスによって鹵獲され使用されていたといいう。