ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

二式水上戦闘機の編集履歴

2016-01-21 15:22:56 バージョン

二式水上戦闘機

にしきすいじょうせんとうき

二式水上戦闘機とは旧帝国海軍が運用した軍用水上機である。

代打手は二式水上戦闘機

 昭和14年(1939年)、水上機により島嶼防衛のための航空戦力を補う目的で海軍は本格的な水上戦闘機「15試水上戦闘機(のちの『強風』、これは後に「紫電」となり、「紫電改」)」の開発に着手するものの、開発作業は難航を極め太平洋戦争の南方侵攻作戦には間に合わない事が明白となった。

 そのため急遽開発されたのが、零式艦上戦闘機フロートをつけたような航空機である『二式水上戦闘機』である。

中島飛行機の零戦水上機?

 この二式水戦ゼロ戦の開発製造元である三菱の開発ではない。

 当時、三菱は零戦一式陸攻の増産に追われており、また実際に製造した中島飛行機は水上機の開発にも慣れていた事が理由である。

中島飛行機

 じつは当時の日本の戦闘機爆撃機などの殆どが中島飛行機製である。中島飛行機は東洋最大の航空機メーカーであり、海軍の航空機生産の要であった。さらにはゼロ戦などのライセンス生産も行っていた。

 ただし第二次世界大戦終了後は「財閥解体」により会社は解体され、その解体された会社の生き残りが複数存在し、その中で最も有名なのが『富士重工』(『スバル』、ただし法人格は合併により消滅)、プリンス自動車(日産自動車に合併され会社消滅)などである。

ゼロ戦との違い

 二式水戦は三菱零戦11型を基にフロートを追加し、直接着水するため機体や電気系統に防水処理や防錆処置を追加し、軽量化などのため着艦に必要なフックやタイヤ等もすべて撤去したものである。

 また、安定性を高めるために垂直尾翼を増積して、方向安定板も追加した。フロート絡みの部分以外はかなり零戦に準じている。

実戦

 この航空機はいくら高性能であると言っても、それは『水上機としては』という但し書きが加わる。フロートの分ゼロ戦よりも性能が落ちていたこともあり、グラマンF6F戦闘機やブリストルボーファイター(第二次世界大戦でイギリスなどの空軍が使用した双発の重戦闘機、オーストラリアから飛来する)の撃墜記録もあったが、既に性能は戦局に応じたものではなく、1943年に生産は終了したものの、その後も使用され終戦まで使用された。

総生産数は327機。これは水上戦闘機として世界最多の生産数である(ただし水上戦闘機という機種自体を第二次世界大戦においてまともに使用したのは日本くらいのものである)。

 なお終戦時には24機が残存(うち22機は内地)していたが、すべて処分(一部は連合国により焼却処分され、その写真が存在している)されていて現存機体は無い。そのうちインドシナに残されていた1機は、フランスによって鹵獲され使用されていたといいう。

関連項目

大日本帝国海軍 水上機 レシプロ戦闘機

零式水上観測機 零式艦上戦闘機 強風(水上機)

参照

wikipedia:同項目

省吾の『零戦』:日本陸海軍機大百科、海軍『二式水上戦闘機』

(日本陸軍機大百科からの引用とされる)

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました