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概要編集

強風は川西航空機が太平洋戦争時に開発した大日本帝国海軍の水上戦闘機である。主任設計技師はかの有名な二式大艇の設計も行った菊原静男による。

水上機でありながら空中戦を行うという無茶ぶりに応えるために開発されたが、その無茶な要求から当初より開発の難航が予想されたため、完成までの埋め合わせで誕生したのが二式水上戦闘機である。

しかし、強風が実戦投入されたのは戦局が悪化してからになってしまったため、本機の活躍の場は殆ど無くなってしまった。


運用に至るまで編集

日中戦争時に水上偵察機が予想以上の活躍を見せたことから、大日本帝国海軍は南洋諸島における制空権確保、ならびに空母艦載機不足の補填を目的に強力な水上機を求めた。

そして昭和15年9月に本機の開発指示が川西航空機に出された。

その際の要望スペックは、


最高速力:高度5,000mで時速574km以上

航続距離(時間):巡航速度で6時間以上

武装:20mm機銃×2及び7.7mm機銃×2 または 13mm機銃×2及び7.7mm機銃×2 または 7.7mm機銃×4

爆装:30kg爆弾×2


このスペックは通常の飛行機より鈍足であるはずの水上機に、当時採用されたばかりの最新鋭機である零戦以上の速度と武装が求められていたことになる。

そう、またしても海軍の無茶ぶりである。


結果、開発は難航してしまい、完成時のスペックは


最大速度:488.9 km/h

航続距離:4.8時間

武装:7.7mm機銃×2及び20mm機銃×2

爆装:30kg爆弾×2


と海軍の要望スペックを満たすことが出来なかった。が、層流翼や自動空戦フラップの搭載に代表されるその他の技術でそれらをカバーする事になった。

総生産数は試作機を含めて97機。

終戦時に31機が現存していたとされ、うち3機がアメリカに現存している。

実際の活躍編集

しかし、強風の制式採用は昭和18年の12月であり、この頃はもう日本は完全に劣勢状態になってしまっており、水上機の活躍の場自体がほとんど無くなり、南方では多少の戦果を挙げるも本土防衛ではほとんど活躍出来なかった。むしろつなぎ役だったはずの二式水上戦闘機の方が戦争序盤で活躍しており、完全に出るタイミングが遅かった残念な機体となってしまった。

数少ない戦果としてはペナン島アンボン島に展開した機体がB-24B-29などの重爆撃機の撃墜・撃破を報告したこと、昭和20年2月に千葉県館山沖で零戦と交戦していたF6Fに横槍を入れる形で攻撃し、1機の撃破を報告したことが挙げられる。


その後編集

紫電改

水上機としては不遇に終わってしまった強風だが、その性能は海軍も川西航空機も注目していた。すでに時局に見合わない機体となった強風に見切りをつけようとしていた海軍だったが、川西航空機は事業の不振を懸念して本機の特徴を引き継がせた陸上機の開発を推進。雷電烈風の開発難航に悩んでいた海軍もそれを受け入れ、強風はかの名高い「紫電改」として生まれ変わり、本土防衛のために活躍することになった。


ちなみに川西航空機は紫電改の水上機仕様強風二二型の開発も計画していたとされている。


登場作品編集

水上戦闘機として登場。多くの作品で20mm機関砲と60kg爆弾を装備しているが、PS2/PSP「ウォーシップガンナー2」のみ爆弾を装備していない。

水上戦闘機として登場。艦船に搭載できるように改修したという設定のため、正式名称は「強風改」。


タグ編集

水上機 大日本帝国海軍 紫電改 戦闘機

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