EF65
いーえふろくじゅうご
概要
1960年代前半の主力機関車 EF60の後継機として、主に東海道本線・山陽本線・東北本線(黒磯駅以南)といった平坦路線における標準機として1965年から1979年まで総計308両(国鉄の電気機関車としては最多)が製造・投入された。
EF60は低速域でのけん引力に重点を置いた形式であったため高速域ではむしろけん引力が低下し、旧型のEH10とすら足並みがそろわないことが問題になっていた。いわば登場からさほど経たない昭和30年代後半短期間で陳腐化し、既に旧式化した車輌となっていたのである
速度特性を改良するプランが立てられたが、折しも九州特急用の暫定けん引機EF60 500番代で無理な弱め界磁(解りやすくあえて不正確な表現をするなら「オーバーブースト」モードのようなもの)長時間高速運転による足廻りの故障が多発しており、けん引特性を歯車比を高速向けにした上で内部機器は当時最新のEF62・EF63よりのフィードバックにより制御装置を一新、より細かい制御により動力車としての特性を改善することとなった。EF65の誕生である。
国鉄分割民営化に際してはJR東日本・JR東海・JR西日本・JR貨物に承継された。現在はJR東海(2007年全廃)を除く各社で運用されている。
0番台
貨物列車牽引用に製造されたベース形式。EF60の4次形を基本として設計されているため、外観からはほとんど見分けがつかない。試作機を置かず、EF60の改良機として継続生産されたが、精巧過ぎる制御装置から当初は初期故障が多発。数度における改良工事により安定、昭和44年まで1~120号機が継続生産された。
機械部分は先に書いたようにEF60とほぼ同等なので、後年瀬野八用のチョッパ補助機関車EF67がJR移行後に増備が必要になった際、すでに廃車で淘汰されつくしていたEF60
の代わりに本番代の最終5輌が種車され、EF67 100番代なった。むろんEF60の際すでに内部機器は総取り替えで改造が行われていたので,、本機からの改造の際も流用されたのは車体と機械部分のみである。
500番台
暫定特急けん引機のEF60 500番代を置き換えるため、高速列車牽引用に改良が加えられたバージョン。旅客列車用(P形)と貨物列車用(F形)が新製された(一部0番台からの改造車あり。77~84号機→535~542号機)。1965年より投入。
特徴は20系客車指令用の電磁ブレーキ牽き通し線が付加されたことと、ブレーキ圧力の増圧装置が付加された事である。これにより110km/h運転が可能となった。また外観塗色はEF60 500番代より継承した特急塗装とされ、これは後のEF65の標準塗装ともなった。
このうちP型は、国鉄最後の旅客専用機関車(急客機)となり、九州特急の顔役として長らく親しまれたが、通常の運用では全般検査には6年周期があるものを、当番代は連日東京~下関間の性能限界までの過酷な高速運用を行っていたため2~3年で走行距離に達してしまい、急速に劣化が進んだため1978年にはPF形に置換えられ、その後は一般貨物運用に余生を送った。
F形はEF66登場までの暫定特急貨物けん引機として重連装置と10000貨車連結装備を付加したものである。ただ、急造の感は免れず、重連運転に便利な貫通扉を設備せず、重連用制御回線が向きに制限のあるものとなってしまったため運用に制限がついてしまい、EF66登場後はその場しのぎの耐寒装備で東北・上越筋へ転属。PF登場後は一般貨物用に転落するなど本来の能力を生かせた期間は5年にも満たず、薄幸の機関車ともいわれた。
1000番台
旅客・貨物列車に広く使用できる汎用機として500番代の機能を統合〈PF型〉、耐寒耐雪装備を充実させて設計されたバージョン。急造のF型とは違い重連設備は向きに関係なく使用可能となり1969年より投入。前面に貫通扉が設置されたのが外観上の特徴。初期製造車には前面ガラス上部のつらら切りが装着されない姿で登場したが、短期間で装備されるようになっている。昭和51年からの1056号機以降は設計が整理され下枠交差パンタグラフPS22を採用。劣化が激しかったP型の代機として製造された東京機関区配置車両は1978年から1985年まで東京駅始発の東海道本線・山陽本線方面寝台特急(ブルートレイン)牽引を一手に引き受けた。なお、温暖地での使用となるため東京機関区回着後、スノープラウとホイッスルカバーは程なく撤去されている。
折しも当時のスーパーカーブームのポスト存在として当時の年少者には絶大な人気があり、低年齢向けの玩具にも必ず製品化されていたスター的存在として君臨しており、昭和50年代前半~半ばに物ごころの付いた世代は、鉄道に詳しくなくてもEF65という名前や九州寝台特急の列車名を知っている方は意外に多い。
また、当時Nゲージの黎明期であり、ブームであった頃、一番セールスを記録したのはこのPF型であり、 24系25形とともに各社から発売されたが、かなり品質や造形には差異があったものである。
現在は、特急出雲の廃止を最後に定期特急列車の牽引こそないが、臨時列車の牽引や工事臨時列車で活躍している。
JR貨物の車両に関しては2012年より100km/h以下限定運用の意味で番号が+1000されている。
こちらはJR移行後多数の試験塗装車が登場、その後延命更新工事で塗装変更した車輌も多く、細部もブレーキ強化車は赤ナンバープレートとされたほか、施工工場や時期によってところどころ異なっている。なお現在は重連運転を原則として行わず、エアホースは主ブレーキ管を除き撤去され、いささか味気ない見た目となってしまった。