概要
イスラム教の2大宗派の1つで主にイマームや血統を重視する側の方である。
イスラム教全体では1割だが、中東最大の経済大国であるイランでは最大宗派である。
スンナ派に比べて教義が緩く、テヘランではルーホッラー・ホメイニーやアリ―・ハーメネイ師の肖像画が普通に飾られている。
パレスチナ独立容認派もシーア派が多く、アサド政権やマリキ政権を助けているのはロシアとシーア派である。
一方で、サウジアラビアを始めとするスンナ派の国では弾圧の対象になっている。
教義
主に血統を重視するのでイスラム教の教えに対しては比較的緩く、ホメイニーさんの肖像画などイスラムに関係のない者なら偶像崇拝に対しては比較的寛容な傾向があり、スンナ派に比べて穏健で、イランでは十二イマームを基本としている。
また、イスラム教において信仰の根幹とされている教義はスンナ派が六信五行であるのに対し、シーア派は五信十行となっている。
因みにISISのムスリムの多くはスンナ派なのでシーア派には戦闘員はそれ程、多くない。(詳しくはサウジアラビアのワッハーブ派の記事を参考に。)
余談
血統主義故にムハンマドの縁戚であるアリーとその子孫を貴ぶ傾向にあり、実際にシーア派の祖となるイマーム(指導者)はムハンマドの娘婿で従弟・養子のアリーを祖とし、以後もムハンマドおよびアリーの直系子孫から出ていた。
ムハンマドを輩出した氏族であるハーシム家からは、上記初期シーア派イマームの家系の他、初期8世紀から13世紀にかけてイスラム圏に広がったイスラム帝国のアッバース朝、そして同じくムハンマドの直系子孫(上記イマームの家系とは始祖が兄弟同士で共にアリーの息子)である聖地メッカのシャリーフの一族が輩出された。
中世以後長らくイスラム圏を支配したオスマン帝国が倒れると、メッカ・ハーシム家の嫡流でシャリーフであったフサイン・イブン・アリーは同地を中心としたヒジャーズ王国を建国。更にフサイン国王の三人の息子がそれぞれヒジャーズ・ヨルダン・イラクの王家の祖となった。イラクにハーシム系の王室が立てられたのはアッバース朝以来となる。
しかし、ヒジャーズ王国は後に新たに勃興したワッハーブ派のサウード家によって滅ぼされる形となり(これにより新たにサウジアラビアが建国)、イラクではクーデターで王族が虐殺され共和化してしまった。
現在残るヨルダン王家は国王の懸命な外交政策や気さくな人柄もあり現在もハーシム家の支持が高いが、ヨルダン自体はスンニ派が多数を占めるという何とも皮肉な結果となっている。
主なシーア派の国
関連タグ
イラン…シーア派の総本山
サウジアラビア…スンナ派の総本山
ルーホッラー・ホメイニー…イスラム革命の創始者。