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概要編集

アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー(ペルシャ語:آیت‌الله روح‌الله خمینی、Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī、1902年9月24日 - 1989年6月3日)は、イランの政治家、法学者。同国初代最高指導者。イラン革命を起こした創始者の1人で、預言者ムハンマドの血を引くセイエド家の生まれである。革命以前は長らく国外追放の身であったが、パフラヴィー王朝がイランから去った後、革命直前の1979年2月に帰国し、600万人の歓迎者が押し寄せた。それ以前の経緯によって現在のイランは反アメリカ主義となり、ホメイニはイランでは無くてはならない存在である。


経歴編集

パフラヴィー王朝に対する批判編集

ホメイニは世俗化・西欧化を進めるパフラヴィー王朝に対して批判的であった。当時のイランでは石油がイギリス・アメリカ系に牛耳られており、イスラム文化の存亡の危機であった。ホメイニはイスラムを危機に陥れたのは、アメリカ・イギリス・シオニスト政権のイスラエルハイファにあるバハイ教国王と結託している点を批判した。


1963年6月にイラン当局がホメイニを政府に対する批判で逮捕したものの、この逮捕がイラン国内で騒動になって200人以上が死亡した。この諸般の都市の騒動に参加した人・ホメイニの助命嘆願運動に参加した人たちが、後のイラン革命による新政権で要職を占める事となる。その中に後の大統領であるアフマディネジャドも参加している。


イランからの国外追放編集

1964年11月にホメイニはトルコを経由し、1965年9月にシーア派の聖地であるイラクのナジャフでようやく落ち着いた。その頃のイランはアメリカの傀儡政権に乗っ取られており、国民はそれにより苦しんだ時期であった。1967年4月にホメイニは2通の手紙を執筆し、1通はシャーの政権を転覆させようとする説得・2通はシャーの戴冠式に抗議するという内容であった。


1978年10月にホメイニはイラクから追放され、同月にパリ郊外のノーフル・ル・シャトーに移転した。国王は1979年1月に事態の収拾に目途が立たない事でイランから出国し、その際にホメイニが帰国すれば君主制の終焉になるのは明らかだった。同年2月にホメイニとその一行を乗せたエールフランスのチャーター機がテヘラン空港に着陸した。こうして革命は成功に終わり、イスラム共和国となったイランは反アメリカ主義の新政権で再始動した。


その後編集

1979年12月に最高指導者に就任し、イスラム共和国となったイランを精神面から指導した。同年2月に革命が成功に終わった後は一転して、世俗主義者・社会主義者を「イスラムの敵(カーフィル)」として弾圧するなど、事実上の宗教独裁を実施した。1989年6月3日にテヘランにて86歳で死去し、最期の言葉は「灯りを消してくれ。私はもう眠い。」であった。


余談編集

パリ郊外在住時の生活編集

当時のフランスは米ソ対立があった為、アメリカと距離を置いていた。パリ郊外に在住した頃のホメイニの生活について述べる。ホメイニはサッカー競技を好み、テレビ観戦する事もあったと言われている。それが後にイランがFIFAでのアジアランク1位の座を獲得する事になったのは言うまでも無い。なおパリに在住していた時の1日の主な生活は以下の通りである。


時間内容
夜明けの3時起床して日中に為しえなかった自分の原稿を読んでチェックする。手紙を読んで前日に用意された外国語の報道に目を通す。その後は祈りに入る。
7時朝食を摂って9時までイランのニュースを聞き、10時まで私事に入る。
12時祈りと昼食を摂り、14時から15時まで午睡を1時間取る。
15時ニュースと政務
17時夕刻の祈り
21時夕食を摂ってから外国のペルシャ語放送(BBC)に耳を傾ける。
23時就寝

欧米人の風刺編集

一部の欧米人が風刺と言いながらムハンマドの侮辱画を描く行為・イスラム教に対して差別的な行動を取ると、恐ろしい報復が来る事を覚えておこう。従って死にたくなければイスラム教を侮辱することは止めるべきで、さもなくば命の保証は有り得ない。


関連資料編集

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