※「艦隊これくしょん」に登場する艦娘については、「長良(艦隊これくしょん)」を参照のこと。
概要
本艦は1920年に起工、1922年に就役した長良型軽巡洋艦のネームシップで、最大速36ノットの高速艦である。
アジア太平洋戦争時にはすでに就役から20年近く経ていたがミッドウェー海戦、南太平洋海戦、第二次・第三次ソロモン海戦にも参加した。第三次ソロモン海戦では戦艦霧島や駆逐艦夕立・綾波に比べて目立たないながらも2度の夜戦で駆逐艦1隻大破、1隻撃沈の戦果を上げている。
1944年、沖縄からの輸送船の護衛任務を終え、佐世保に向かう途中、天草諸島沖合で米潜水艦「クローカー」の雷撃を受け沈没。水深127mの砂地の海底で、船首を上に向けて沈んでいる姿が確認されている。
ちなみに、長良型6隻の中で内地で戦没したのは本艦のほかに翌1945年の天一号作戦で没した五十鈴がある。
慰霊碑に関する逸話
熊本県天草市牛深町、鯔山の頂上に地元で商店を営んでいた佐々木ツルが行商で得た私財や寄附により建てた慰霊碑がある。かつては区の共同墓地にあったが、苦情を受けて昭和45年10月、現在地に移設した由。
現在は毎年8月7日、社会福祉協議会により慰霊祭がとり行われている。これはよく牛深港に寄港していた長良に乗船したいと言ったツルの娘・カナエの要望を伝え聞いた乗員が特別に招待し、土産にキャラメルなどを持たせるなどして歓待し、強く母娘の印象に残ったためだといわれている。
カナエは夭逝したが、ツルと長良に関しては、以下の逸話も残されている(〔天草灘にひびけ鎮魂の譜/島一春[著]、河出書房新社〕より)。
- 長良沈没地点は〔軍艦曽根〕と呼ばれ、漁礁となっていた。沈没地点での海上供養の際、ツルは懇意で地元の漁師に連れて行ったもらったのだが、この漁船はよく大漁に恵まれた。
- 沈没時の艦長の夫人・中原ふき江氏が献花をした際、いつもであれば軽さのために潮に乗って流れてしまうはずの花や煙草が、全て海中に沈んだ。
- 昭和28年、初めて長良の供養をした二日後、ツルは宇城市三角港から熊本市にトラックの荷台に載せてもらって行商に向かっていた最中、川尻で事故に遭う。事故の瞬間「立派な軍服を着た海軍の軍人さんが何十人何百人も立っていた」夢を見たツルはほぼ無傷だったが、同乗者と運転手は死亡した。
関連項目
川内型軽巡洋艦(次級)