八八艦隊とは、日露戦争後の大日本帝国海軍の軍備増強計画のひとつである。当時の大艦巨砲主義を体現するような計画であった。
解説
一般に、大正時代に旧海軍が計画した、長門型2隻、加賀型2隻、紀伊型4隻の8隻の戦艦と、天城型4隻、艦名未定4隻の8隻の巡洋戦艦から成る艦隊を指す。8隻と8隻で「八八」艦隊である。
なお、主力艦ばかりでなく同時代の補助艦艇(5500トン型軽巡洋艦や峯風型~睦月型駆逐艦など)も計画の一環に含まれる。
日露戦争以来の海軍の悲願であり、第一次世界大戦の戦争景気で予算が通ったのはいいものの、国家予算を食いつぶすような建造費と維持費に先行き不安が持たれていたところに、翌年にはワシントン海軍軍縮条約が結ばれたことで、計画は大半が取り止めになり幻に終わった。おかげで日本の財政は救われた。
完成したのは八八艦隊の最初の2隻の長門型戦艦のみで、ほかに3番艦の戦艦加賀・6番艦の巡洋戦艦赤城が空母に改造されて生き残った。
実質は、全て26ノット~30ノットの高速戦艦である。また、最後4隻の巡洋戦艦はのちの大和型戦艦にも迫る46センチ砲8門を備えた大型艦であったと言われている。