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河野一郎(こうのいちろう)は、日本政治家。世間一般では衆議院議長自民党総裁を務めた河野洋平父親、衆議院議員河野太郎祖父として知られる。

概要

1898年6月2日神奈川県豊川村(現在の小田原市)の裕福な農家に生まれる。父親は豊川村長、神奈川県会議長を務めた人物。

1923年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、朝日新聞社に入社。早稲田大学時代は、とともに陸上部長距離選手として鳴らし、箱根駅伝で活躍。総合優勝も経験している。

1932年に初当選。当時、立憲政友会に所属していた。

戦後鳩山一郎子分となり、1955年には自由民主党自民党)の結党にも参画している。また、鳩山内閣では農林大臣も務めた。

岸信介内閣では経済企画庁長官を、池田勇人内閣では建設大臣を務めた。

1964年10月、池田が病気のために退陣を表明。この時、後継総裁内閣総理大臣候補の一人にあげられたが、後継総裁は池田の指名で佐藤栄作に落ち着いた。

1964年11月9日発足の佐藤内閣においては副総理兼国務大臣を務めたが、1965年6月3日の内閣改造では、閣内残留を拒否。1ヶ月後の7月8日大動脈瘤破裂のため急死した。享年67。

一郎の死後は息子の洋平が後継者となった。

余談

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河野一郎の編集履歴2016/12/23 10:23:16 版