宮城県仙台市青葉区(旧陸奥国宮城郡青葉山)に築かれた日本の城。
沿革
江戸時代まで
鎌倉時代後期以降、青葉山には千体城、のちに千代城が築かれた。
伊達政宗が当地を支配すると当時の千代城主は退転、関ヶ原の合戦後、伊達家六十余万石の政庁及び戦時の拠点として青葉山に仙台城が築城されることになった。
こうして、1601年(慶長6年)着工した新しい仙台城は伊達政宗によって青葉山に築城された。
実戦を想定した堅固な山城として築城されており、この時代には珍しく二の丸や三の丸を持たない城である(本丸と西の丸という前時代的な構造)。
天守は存在しなかった。
スペイン人冒険家ビスカイーノは仙台城を「日本で最も堅固な城」と評している。
政宗の死後、二代藩主忠宗は世が平和になったこともあり山のふもとに新たに二の丸、三の丸を作っており、これにより仙台城は平山城となった。
戊辰戦争の折には奥羽越列藩同盟盟主の城となるが、結局一度も戦火に見まわれることは無かった。
むしろ地震や火災などの災害のほうが多かったという。
明治維新後
仙台藩が明治政府と対立した奥羽越列藩同盟の盟主となったが仙台近辺での大規模な交戦はなく、新政府へ引き渡された。
跡地には陸軍東北鎮台が入ったほか、地震や風水害のため建物の破損流出もしばしばあった。
紆余曲折を経て、現在は城地の一部を東北大学川内キャンパス、宮城県護国神社等が占めている。2011年3月11日の東日本大震災では石垣、脇櫓の一部が損壊した。
築城裏話
築城当時幕府は築城候補地を1~3番目まで定めて提出することを義務付けており、第1候補に築城許可が下りることはまず無かった。
そこで政宗は第1と第3をあえて入れ替えて提出したが、何故か第1候補の青葉山に許可を下りてしまい悔しがったと言う。
余談
関連タグ
擬人化した仙台城