概要
発端は、秋月が、公式四コマや時報などで、カレーライスにカツレツ、肉じゃがなどを【豪華な食事】と称したことにある。
秋月は、史実で太平洋戦争の苦境の中で生まれたため、それが響いてか、艦娘になっても質素倹約が身に染みてしまっていることが確認されている。
このことから、秋月に現代の普通の食生活や豪華な食事を好きなだけさせてあげたいという提督達の秋月愛に溢れた秋月にたらふく食べさせ隊が登場した。
後に、実装された姉妹艦達の台詞により、この質素な食生活が秋月個人に留まらず秋月型駆逐艦姉妹全体に当て嵌まる傾向であるが判明し、他の妹達や姉妹全員にまとめておいしい食事を味わってもらう紳士たちが登場した。
だが、食事が質素倹約である割には、四姉妹ともにあちらの発育は非常によろしいようであるが・・・
実際は……
現在実装済みの4隻は昭和17年中の竣工だが、この頃はある程度食料(米・砂糖・味噌等)の配給が安定しており、表面上は困窮状態に陥るほどの食料状況ではなかった。むしろ、戦時下の増産体制のおかげで国民所得はそれなりに安定しており、都市部では「外食券」こそ必要ではあったが一応は外食する余裕もあった。
むしろ世界恐慌に巻き込まれている特型組の方がよほどひもじい思いをしているはずである。
(とはいえ、当時は現代以上に地域間及び封建時代以来の階級間に於ける経済的格差が極めて大きく、配給の質や量以前の問題として、食べること自体に苦労していた貧困層が決して少なくなかった時代であったことを考慮する必要がある)
また、夕雲型の面々にこの傾向が見られないのもおかしい。夕雲型(甲型)と秋月型(乙型)ではそもそも用途が違うので、並行して建造された為である。現在実装済みの中では藤波・沖波・朝霜・早霜・清霜が初月より後に竣工している。
日常レベルの市民生活が極度に貧窮してくるのは、昭和19年に入ってマリアナ沖海戦に敗北して本土空襲が本格化し、レイテ沖海戦に敗北し南方からの物資輸送が完全に絶望的になってからである。なのでそれ以降に竣工している雲龍がああなのは正しい。
ただし、坊ノ岬沖海戦をも生き残った涼月の乗員達は佐世保で農耕隊と漁労隊とに分かれ、畑仕事や借りた漁船で漁をしながら自給自足の生活をおくっており、正に戦争末期の困窮した生活をおくっていた。艦娘となった涼月にも質素倹約が完全に身についており、鎮守府内に菜園を作りそこで育てたカボチャや芋を使った料理を提督にふるまっている。