プロフィール
概要
中川清秀とは、戦国時代~安土桃山時代に活躍した武将である。
誕生は天文11年で幼名は虎之助、通称は中川瀬兵衛と呼ばれていた。
織田信長の命により与力武将として荒木村重の麾下についていたが、村重が織田信長に叛旗を翻すことによって信長に敵対するも高山右近とともに降伏して帰参、本能寺の変後は羽柴秀吉に着いたが、賤ヶ岳の戦いで戦死した。
清秀の子孫は豊後(大分県)・竹田で七万石を領して幕末まで存続し、代々、岡城を居城とした。(ちなみに、岡城はのちに滝廉太郎の『荒城の城』のモデルとなり、天守閣跡には廉太郎の銅像が建てられている)
墓所は、梅林寺で現在の大阪府茨木市にある。
でもね・・・
そもそも荒木村重が謀反を起こすきっかけとなったのは、信長勢が絶賛攻囲中の本願寺へ密かに兵糧を運び入れたという噂があったからといい、それをしたのは中川清秀の家臣だという説がある。
また村重へ謀反を勧めたのも清秀らだとされている。
もし、上記の説が正しいとしたら相当のタマである。