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中川清秀の編集履歴

2021-09-30 22:58:16 バージョン

中川清秀

なかがわきよひで

戦国時代~安土桃山時代にかけての武将。古田織部の義兄(妻の兄)。

プロフィール


概要

元は摂津池田氏の配下だったが織田信長に降った後、信長の命により与力武将として荒木村重の麾下についた。村重が信長に叛旗を翻すことによって信長に敵対するも高山右近とともに降伏して帰参、本能寺の変後は羽柴秀吉に着いたが、賤ヶ岳の戦い佐久間盛政と戦い戦死した。

清秀の死後、嫡子の中川秀政が跡を継ぐが若年故にしばらくは妹婿の古田重然が後見人になっていた。秀政はのちに秀吉の計らいで盛政の遺児である虎姫と結婚するが、秀政からすれば虎姫は父・清秀の仇の娘、虎姫から見れば秀政は父・盛政や大伯父・柴田勝家の仇の配下であり仲は最悪だった。しかし秀政は朝鮮で陣没。家督は弟の秀成が継ぎ子孫は豊後(大分県)・竹田で七万石を領して幕末まで存続し、代々、岡城を居城とした。(ちなみに、岡城はのちに滝廉太郎の『荒城の城』のモデルとなり、天守閣跡には廉太郎の銅像が建てられている)

墓所は、梅林寺で現在の大阪府茨木市にある。

でもね・・・

そもそも荒木村重が謀反を起こすきっかけとなったのは、信長勢が絶賛攻囲中の本願寺へ密かに兵糧を運び入れたという噂があったからといい、それをしたのは清秀の家臣だという説がある。

また村重へ謀反を勧めたのも清秀らだとされている。

もし、上記の説が正しいとしたら相当のタマである。


関連イラスト

スパコミ23へうげもの新刊『レッツゴーヤング』見本中川清秀~オリジナル~


関連タグ

人物 戦国時代 武将 安土桃山時代 虎之助 瀬兵衛 古田織部

へうげもの

外部リンク

中川清秀 - Wikipedia

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