ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

鈴々舎馬風の編集履歴

2018-07-05 14:23:56 バージョン

鈴々舎馬風

れいれいしゃばふう

鈴々舎馬風は、落語家である。ここでは5代目について述べる。

概要

本名:寺田 輝雄

1939年12月19日生まれ。千葉県野田市出身。


1956年、17歳の誕生日に5代目柳家小さんに入門し、柳家小光を名乗る。

1960年、二つ目に昇進し、柳家かゑるに改名。

1969年、4月から11月までの間、兄弟子の7代目立川談志に誘われて笑点のレギュラーを務める。

1973年、真打昇進。

1976年、5代目鈴々舎馬風襲名。豪快な性格で新作落語を得意としていた4代目になぞられての襲名となった。

2001年、3代目古今亭志ん朝死去に伴い、落語協会副会長就任。

2006年、3代目三遊亭圓歌の後任で落語協会会長就任。

2010年、落語協会会長を弟弟子(ただし同年齢)の10代目柳家小三治に譲り、顧問に退く。

2014年、弟弟子の4代目柳亭市馬の落語協会会長就任による役員改選により最高顧問を務める。


代表的な作品は「会長への道」。これは師匠小さんの後任の落語協会会長を巡り、圓歌、談志、5代目三遊亭圓楽、志ん朝といった先輩たちが次々といなくなり、自分に会長の座が回ってくるというもの。実際1978年に圓楽が脱退、1983年に談志が脱退、2001年に志ん朝が亡くなって、2006年にとうとう会長就任を実現させた。


柳家かゑる時代には、キックボクシングリングアナウンサー、歌手の公演の司会業もしていた。

馬風襲名後は1980年代にテレビ東京の『爆笑!おもしろ寄席』の企画「ハリセン大喜利」で、ハリセン大魔王として悪い答えを出す大喜利メンバーを(時には司会者のみのもんたがとちると容赦無く)叩きまくった。


関連タグ

山田隆夫 - 彼に落語を教え、鈴々舎鈴丸の高座名を与えたものの、落語家に専念しないため、馬風ファミリーとしては色物扱いとなっている。


キックボクシング ハリセン 大喜利

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました