概要
シャープのテレビ事業部が開発したパソコン。シャープは「パーソナルワークステーション」を称した。相性はペケロッパ。
「パソコンテレビ」X1の後継機で、国産のホビー色の強いマシンとしては異例とも言える高級機(本体369000円+モニタ129800円)。当時としては卓越したグラフィック性能を誇った。本体の斬新な「マンハッタンシェイプ」スタイルも通産省のグッドデザイン賞を受賞するなど評価が高い。
それまで同時代のアーケードゲーム基盤とパソコンの表現力の差は大きくアーケードからの移植は四苦八苦していたのだが、X68000はアーケードと同等かそれ以上の機能で、初代に同梱されていたSTG『グラディウス』(コナミ)のアーケード版の再現度は衝撃的なものであった。
またビジネスマシンとしても充分高機能であった。しかしこの方面ではシャープの社内的事情(X68000を企画したのはテレビ事業部であり、ビジネス機器を製造する部門が別に存在していた)から積極的な展開はなされなかった模様で、PC-9800の牙城を崩すには至らなかった。
防戦に回ることになるのは1989年。富士通がFM-TOWNSを発売したことによる。X68000は上位機などが存在したものの基本的に発売以来のスペックを変えておらず、Intelの当時の最新鋭CPUだった80386を搭載したTOWNSの性能にまったく叶わず。
ゲームソフトウェアベンダーもシャープの開発能力に疑問を呈し、TOWNSへの移植をするソフトハウスが目立った。
さらにはMacとX68kしか採用していないMC68000系に対し、TOWNSはIntel80386を採用し同梱のTOWNS OS以外にもMS-DOSを当初から供給、これにより同じx86系のPC-9800のソフトが移植しやすく、ビジネスソフトも定番が揃い充実した。
TOWNSもPC-9800には到底及ばないままだったものの、富士通は文部省とズブズブだったので教育機関でまとまった数が採用された。
さてややこしいのがこの辺のユーザー・ファンの事情である。
富士通は8bit機時代(FM-7、FM-77)はシャープと共にMotorola陣営であり、最初に「富士通が16bit乃至32bitの新型パソコンを計画中」の一報が流れた時は、X68kのユーザーやファンは歓迎ムードだったのだ。彼らにとって敵というのは圧倒的シェアで寡占するNECであり、富士通に対しては戦友のような感覚を持っていた。
ところが計画が公式に発表されると……
「え……Intelの386……?」
そう、引き続きMC68000系を採用すると思われた「富士通の新型機」は、憎っくきPC-9800と同じx86系CPUを採用したのである。
もっともこれはシャープ、富士通双方の個人ファンの思い込みであった。実際には富士通にはTOWNS以前にも、スタートダッシュでPC-9800どころかX68kにも完全敗北し、かろうじて官公庁やメインフレーム FACOM のユーザーの需要で細々とつないでいたFMRがあり、これを叩き台として開発する計画だった以上TOWNSがx86系となることは最初から決定事項だったのである。
前評判ではFM-7、FM-77の元ユーザーからも不満の声が上がったが、PC-9801UV/UX/USなど“敵の軍門”に下って悶々としていたこともあり、比較的安価に供給されたTOWNSはたちまち固定ファンを獲得した。
この時点でX68000ユーザーはTOWNSユーザーを「裏切り者」と謗るようになり、一方発売以来性能の進歩がまったくないX68000のユーザーが挙げるこの声をTOWNSユーザーは「負け犬の遠吠え」と謗るようになった。
そしてどちらも相手を貶めるため相手のアーキテクチャを標的としたコンピュータウィルスをつくりまくり同人ソフトや雑誌付録に入れて流すなど不毛な才能の無駄使いの応酬がなされたと言う。
だが、X68000の本当の受難はここからである。TOWNSが一定の成功を収めたことでNECが危機感を抱くようになり、マルチメディア実験商品としてPC-98GSを投入するも高価すぎて自爆(20万円~50万円程度のTOWNSと同等の性能を出すのに本体だけで70万円した)、しかしすぐに要点を抑えたPC-9821シリーズを投入してくる。
初期のPC-9821の素の性能はX68000やTOWNSからしてみればギャグのようなレベルだったが、PC-9800にはPC-8001以来のハード・ソフト両面での巨大なサードパーティ市場が存在しており、高い拡張性を誇るPC-9800の基本設計もあってたちまちX68000やTOWNSを脅かすようになった。
富士通は元々コンピューターメーカーとして有名だったこともありしばらくはNECと撃ち合い続けたが、体力に劣るシャープはX68000の高性能化もおぼつかない状態。さらにIBM PC/AT互換機の海外勢の再侵攻、同じMC68000系を採用していたMacがPower Macintoshに移行するなど乱戦状態の中で性能の刷新もろくにされないX68000は完全に埋没していく。
1993年、最初で最後の性能刷新が行われ、MC68030を搭載したX68030シリーズが発売された。しかし、すでに市場の主力はi486系であり、i386系と同世代のMC68030を搭載したところで悪あがき程度の高性能化にしかならなかった。光ドライブも最後まで未搭載、FDDも最後まで5インチが主力と、あらゆる部分が時代に取り残されていた。
このころから、愛称の「ペケロッパ」は、自機ユーザーからは自虐、他機種ユーザーからは蔑視の意味を持つようになっていく。さらには「ダメロッパ」とも。
さらにWindowsの台頭で、PC-9800やPC/AT互換機勢の高性能化は更に加速。更にはゲーム用途ではこの頃スーパーファミコン・PCエンジン・メガドライブの三つ巴の激戦により日進月歩で安価なテレビゲーム機が進化する時代となり、X68000はホビー用途でも表舞台からフェードアウトしていく。
それでも、市販ソフトが出なくなった後にも熱心なユーザーや専門誌「Oh!X」が残り、雑誌投稿、パソコン通信、即売会やソフトベンダーTAKERUなどを通じた活動は結構長く続いた。
この辺の事情は廉価ながら同じくホビー向け機種のMSXに近い。また両方のユーザーだった人も少なくないようだ。
一方、TOWNSもX68000の事実上の終焉により所謂ライバルロスの状態に陥ったのか、急速にやる気を無くしてシェアを縮小、最終的にPC/AT互換機であるFM/Vに移行してX68000の後を追った。
一説によると1997年まで生産は続けられていたらしい。しかし、1995年頃にはすでにその頃には秋葉原ですら大規模店にはおいてもらえない、マニア向けショップの片隅にひっそりと佇むだけの存在になっていた。大方のPCマニアにも「お前まだいたの!?」状態だった。そして最後は人知れずその歴史に幕を閉じた。
ライバルと位置づけられたPC-9800が、NECも主力商品をPC/AT互換機のPC98NXシリーズに移したあとも愛され、中古機が盛んに取引され、2003年には華々しくグランドフィナーレを飾り、その後も「一度は日本を制覇したPC」として今も語り草になっているのとは対照的であった。
2000年にはIOCS(BIOS)やOSの「Human68k」が公式に無償公開された。
市販ソフトの中にも無償公開されたものもあり、またオンラインのフリーソフトウェア、フリーゲームの数も多いため、ユーザーでなくても合法的にエミュレーター環境で遊べる貴重な環境になった。