概要
ユンカース社が1934年に開発した急降下爆撃機。翌年にはドイツ航空省より正式な生産命令が下されている。
逆ガル翼の複座機で、急降下爆撃に耐えるよう頑丈に設計され、安定した飛行能力を持ち合わせ、精密な爆撃を行うのに適した機体となっている。
本来、急降下爆撃機というカテゴリーを指す略語である「スツーカ」がこの機種の別称となっており、文字通りドイツ軍急降下爆撃機の代名詞だった。
その反面、低速、防弾の不備、1000~1500㎞と短い航続距離などが問題にされた。
またヘルマン・ゲーリング、エルンスト・ウーデットを始めとしたドイツ空軍の上層部は戦争初期の本機の戦果を過大評価し、また貧乏国のドイツには高中空から爆弾を大量にばらまくよりも正確無比な急降下爆撃こそコスト面でも相応しいとあらゆる爆撃機に急降下能力を求め、それ以外の爆撃機開発を怠るなどの弊害も生んだ。
もっとも高速で海上を動く軍艦に対する攻撃では本機の精密な急降下爆撃は有効であり、碌な雷撃機もなく、あとは水平爆撃主体のドイツ空軍が戦争中期まで英海軍に多大な損害を与える事ができたのは本機とJu88の功績といえる。
第二次世界大戦の中盤には性能的に見劣りするようになり後継機にFw190地上支援型、Hs129などが登場したが、結局ドイツの降伏まで使用され続けた。
急降下爆撃機には鈍重なイメージがあるが、空荷ならその限りではない。日本が輸入したJu87B型に対する評価も旋回能力だけなら一式戦闘機に迫るとされている。
他の急降下爆撃機も同様で、『彗星』は夜間戦闘機に改装(斜銃を追加)され、SBDも場合によっては戦闘機の真似事をしている。イギリス軍初のドイツ機撃墜は『スクア』によるものであった。
大砲鳥
旧式化した本機を対戦車攻撃機として運用するため、Flak18高射砲をガンポッド式に改造した37mm機関砲(装弾数6発:装弾クリップ1本分)を翼下に装備している。この改良によって「カノーネンフォーゲル(大砲鳥)」の愛称を得た。
大口径の機関砲をポン付けしたため、空気抵抗と重量で性能は低下し、砲を撃てば反動で減速する上、左右同時に撃たないとバランスを崩して墜落する。その扱いづらさにハンス・ウルリッヒ・ルーデルすら、「操縦が恐ろしく難しい機体」と評している。
そう言いつつも数分でT-34を12輌もスクラップにしたり、上陸用舟艇約70隻を沈めたり、敵2個師団相手に無双したりしている。やっぱりコイツ人間じゃねぇ!!
悪魔のサイレン
逆ガル翼と大きく張り出したプロペラが空気との摩擦で、急降下突入と同時にサイレンのような風切り音を発した。
スペイン内戦では「悪魔のサイレン」や「ジェリコのラッパ」(※)と恐れられ、多くの兵士たちが混乱に陥ったという。
のちに翼に小型のプロペラ式警報器を取り付けて敵への威嚇効果を狙った機体も登場したが、隠密性を失って危険なのが分かり、1941年以降「ラッパ」は使用されなくなった。
※ヨシュアは祭司たちとラッパを鳴らしながら7日に渡ってジェリコの城壁を周回し続け、8日目に城壁は崩れ去った。(旧約聖書)
艦載機型
ドイツ海軍初の空母グラーフ・ツェッペリンの艦載機として、海軍向けの艦載機型「Ju87C」も開発されたが、グラーフ・ツェッペリンの建造中止により試作のみに終わった。(ゲーム「艦隊これくしょん」では、これを元にした「Ju87C改」が登場)
他にもD-4型が試作され、これを基にE型が計画されていたが、実機は制作されなかった。
日の丸スツーカ
2013年8月、滋賀県東近江市の平和祈念館に寄贈された写真の中から、同市の八日市飛行場に配備されていたJu87と思われる機体を撮影したものが発見された。1939年に大日本帝国陸軍が研究用に輸入した機体で、形状からB型と推測されている。