神通(艦隊これくしょん)
じんつう
容姿って言ったのにぃ~!
デザイン的には川内型フォーマットのセーラー服と艤装を着用しており、茶髪も長い状態で先を縛るのみだが、後頭部に緑のリボンを付けている。
前髪は外にハネたワンレングスといったちょっと特徴的なもの。
何気に提督らのS心やエロスを刺激する台詞や姿態が多い事多い事…それでいて長良型の一部や阿賀野型に及ばないとはいえ、胸は三姉妹の中で一番大きい。
こんな性格でも、提督のお役に立てて…本当に嬉しいです。
川内型軽巡洋艦姉妹の次女で、とかく突っ走りがちな姉と妹とは雰囲気が異なる常識人…ではなく常識艦。少々気弱で内気、控えめな性格らしく提督にも一歩下がった態度で接する事が多く、過激な長女と突っ走る幼い感じの妹との板挟みに悩む苦労人でもある。 (もっとも三人以上の兄弟姉妹で「真ん中が苦労人」というのは現実・創作を問わず珍しくは無い)それ故にこんな娘が戦えるのか?と疑問に思う提督もいるのだが……
史実では「日本海軍の中で最も激しく戦った軍艦」と評された事もあるほどの激戦を繰り広げた武勲艦だったりする(後述)。
実際は中破時に「戦えない」と弱音を吐くどころか「これじゃ、戦いにくいです」と戦う気満々であり、夜戦時も「油断しましたね」と相手の油断を誘っているなど、根っからの戦士である。
そのため覚醒、怒らせたら絶対にダメな娘さんと考える提督もいる。ただし、改二が発表される前の運営側の発言には「神通は昔の戦闘のせいで引っ込み思案の受身になった」というのもあるので、当時の事が多少はトラウマとなっている(公式4コマ8話での夜間無灯火状態を苦手とする等)模様。
各種メディアミックスでは後述の改二も合わせて「一見気弱だが、本気を出したら恐ろしい鬼教官」としての扱いが多い。実際に多くのメディアミックスで神通の訓練は効果的だが、駆逐艦娘が逃げ出すほどのスパルタといった描写が多い。しかし、公式メディアミックスいつか静かな海でをはじめとし、「駆逐艦たちから慕われている」描写も多い。
ただし、これらの性格付けはあくまでも派生作品が中心であり、原作(ブラウザゲーム版)の神通にこのような台詞等は一切存在しない…はずだったが、現在は改二の時報ボイスにて自身の訓練が厳しすぎると言われたことに言及する台詞が追加されている。ただし、当然だが提督の中には鬼教官としての神通より、大人しく物静かな神通が好きな人もいる為、原作初期のような鬼教官要素が無く大人しい性格付けで描写されているイラスト等でみだりに鬼教官ネタを出すのは、それらの人々にとって不快になることもあるで自重しよう。
ちなみに提督との関係はかなり良好な様子。
全体的に好意的な発言が多く、お触りに関しても混乱してはいるものの肯定的、轟沈時も提督に別れを告げるものであるなど、提督LOVE勢の一員ではないかと考えられている。
一方で引っ込み思案とも取れる性格が災いして素直に好意を表す事は少なく、こういった好意的な態度が恋愛感情に根ざすものであるかどうかが議論の的になっている。
近年の2015年夏季限定ボイスでは、提督の花火見物への誘いに嬉々として応えている姿などを見る事もできる。
2017年7月14日の更新で時報ボイス実装と、一部ボイスの修正が実施された。
姉の川内に次いで、念願の時報ボイスの獲得となった。
従来のイメージ通り、提督に対しては細やかな気遣いをする優しい姿を見せてくれる一方、提督から思わず「鬼」と形容されるほど、朝から夕方まで麾下の水雷戦隊にみっちりと訓練を課す姿を見せる。
神通本人はこの例えに少しショックを受けているのだが、それでも訓練の厳しさが確かな戦果として返ってくると信じてもいる様子。実際、雪風がほっぺたにお弁当を付けているのを優しく取ってあげている一幕があることからも、麾下の駆逐艦たちを大切に思っているのが見て取れる。
提督にも三食用意し、さらにお茶の準備も欠かさない如才ない姿を見せてくれる。
姉妹間では、川内の時報でも触れた『川内を起こす神通』の姿が確認できるほか、夜中にボイトレに励む那珂ちゃんを心配したりと、姉妹のパイプ役となっていることが分かる。
限定グラですか? 持ってはいますが……
2015年9月上旬、改二に対し、夏季イベント終了と同時に浴衣姿の期間限定グラフィックが実装された。
百合の柄の浴衣を着こなした清楚な佇まいであるが、リボンで髪を結い上げ、うなじを露わにして頬を赤らめた様は普段の凛々しさとうってかわって艶めかしい。
詳しくは神通改二の記事を参照。
あの、提督…史実に触られると、私混乱しちゃいます…
太平洋戦争開戦前、訓練中に神通と駆逐艦蕨(わらび)が衝突する美保関事件が発生。
結果、蕨は轟沈、神通も艦首が大きくえぐれてしまう。
責任を問われ起訴された艦長水城圭次大佐は、判決の前日に自決してしまった。
開戦時の所属は第二水雷戦隊。これは日本海軍水雷戦隊の中で最も練度の高い最精鋭部隊であり、最前線で真っ先に直接敵軍を叩く切り込み部隊である。
人呼んで「華の二水戦」。そんな部隊の旗艦を最も長い間務め上げたのが他ならぬ彼女なのだ。
開戦後は二水戦としてダバオ上陸作戦、セレベス島メナド攻略戦などを支援し、蘭印方面で活躍。1942年2月のスラバヤ沖海戦では第四水雷戦隊の「那珂」と共に参戦。この戦いで「神通」は偵察機により敵部隊の行動を補足し続け、英駆逐艦「エレクトラ」を砲撃で沈黙させ撃沈に貢献するなど活躍。
しかし水雷戦隊としての働きは、射程距離の長い酸素魚雷を活かしたアウトレンジ戦法に拘った結果、艦隊全艦で188本の魚雷発射のうち命中したものは僅か4本というものだった。「当たってください!」
これは信管が鋭敏すぎた、元より命中率の悪い魚雷の射程を伸ばしてもメリットが薄いなどの酸素魚雷の欠点を露呈するものでもあるのだが、勝利したにも関わらず二水戦司令の田中頼三少将らは「敢闘精神が足りない」などの批判を浴びた。これが後の田中少将の左遷に繋がるのだが…
ミッドウェー海戦にも護衛隊として参加するが、交戦の機会は無かった。
第二次ソロモン海戦には「陽炎」らと参加するが、米軍の空襲で爆弾を受けて中破。旗艦を一時「陽炎」に譲渡しトラック白地に帰投。その後本土で修理を行うべく前線から一旦外れる(その間の二水戦旗艦は「五十鈴」が務めた)。
修理を終えた「神通」は1943年に二水戦に復帰、ガダルカナル島撤退作戦支援に参加する。 そして二水戦旗艦として「神通」が最期の活躍をしたのが、この年10月のコロンバンガラ島沖海戦である。
コロンバンガラ島への兵力輸送を目的とする日本軍、「東京急行」と呼ばれる日本の輸送作戦を阻止しようとするアメリカ側とが激突したこの戦いは、夜戦となった。
二水戦は「三日月」を先頭に立てて「神通」「雪風」「浜風」「清波」「夕暮」と続く単従陣。対するアメリカ第36.1任務群の戦力は軽巡3隻、駆逐艦10隻といった陣容だった。
二水戦は水上偵察機の報告と「雪風」の逆探により敵船団を発見。ほぼ同時に第36.1任務群もレーダーにより二水戦の存在を察知。お互いに相手の存在を確認した上での戦闘開始となる。「神通、いきます」
レーダーが未発達(そもそも積んでないとか、積んでても敵か味方か判断できないとか)の当時の夜戦は、相手が目で見えなければ戦いにならない。そのため、先導艦として「神通」は、後続駆逐艦のために探照灯照射を敢行。
日本の水雷戦隊では伝統として「旗艦は先頭に出て後続の艦を守る」「そのため旗艦には駆逐艦より装甲の硬い軽巡を使う」という決まりがあった。
「神通」の行動は教科書通りの動きであったが、それは自分の位置をあからさまに相手に教えることにもなるわけであり、当然のごとくアメリカの軽巡3隻から多数の砲撃、雷撃を浴びせられ、「神通」の船体は瞬く間に炎上する。「来ないでって言ったのにぃ!」
二水戦司令・伊崎俊二少将、艦長・佐藤寅治郎大佐ら司令部は艦橋への砲撃で戦死。航行不能となり落伍し、燃え盛る建造物が「雪風」の乗員から確認されながら、それでも「神通」は探照灯照射と砲撃をやめず、魚雷7本を発射するなど奮戦(更にこの魚雷が敵軽巡「リアンダー」に命中して大破させたとも)。
やがて再度魚雷を受けた「神通」は大爆発を起こし真っ二つになり沈没。しかし船体の前半分は夜が明けてもなお沈まず、白鉢巻姿の砲員が残った第一砲塔で激しく敵駆逐艦に反撃を続ける姿が日米両方の偵察機から確認されている。
そして、「神通」への集中攻撃が意味することは、他の駆逐艦への攻撃がほぼなかったということになる。駆逐艦部隊は最大戦速で敵艦隊に肉薄、魚雷の一斉射でまず軽巡「リアンダー」を大破させ戦闘不能に陥らせると。そのまま反転離脱に移ることに成功。
その後、次発装填装置の無い睦月型の「三日月」を除く船は魚雷装填を行い戦線に復帰。もう日本軍の雷撃は無いと油断し突撃してきたアメリカ艦隊に対し再度の魚雷斉射を行い、軽巡「セントルイス」「ホノルル」を大破。駆逐艦「グウィン」を大破のち沈没に追い込む。さらに駆逐艦「ブキャナン」と「ウッドワース」が衝突事故を起こして大破。鮮やかに大打撃を与えると、再び戦場から離脱していった。また大破した「リアンダー」は損傷が酷く二度と前線に戻ることが出来ず、第36.1任務群は事実上戦力外に追い込まれた。
駆逐艦部隊は「雪風」に砲弾が直撃するも不発だった幸運が起こった以外は全くの無傷、コロンバンガラ島への輸送も無事遂行され、日本軍の完勝だったが、「神通」の救助を行う余裕は無く、輸送完了後「皐月」と「水無月」が捜索に向かったが、何も発見できなかったという。
二水戦司令部を含む482名が死亡、生き残ったのはアメリカ艦隊に救助された2名。また、21名が潜水艦「伊185」に救助されたともいう。
「華の二水戦」の名に恥じぬ執念を見せ、「ホノルル」1110発、「リアンダー」160発、「セントルイス」1360発。合計にして2630発の砲弾を一手に引き受け、旗下の駆逐艦に全く被害を与えず、勝利と引き換えに壮絶な最期を遂げた「神通」。
この艦をアメリカの戦史研究家サミュエル・E・モリソンは「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」と評した。