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仁孝天皇の編集履歴

2019-02-27 10:00:20 バージョン

仁孝天皇

にんこうてんのう

仁孝天皇とは江戸時代末期の天皇

重要

光格天皇の第四皇子。母は名家勧修寺経逸の娘、勧修寺婧子(東京極院)。養母は光格天皇中宮の欣子内親王(新清和院)(後桃園天皇の第一皇女)。女御は関白鷹司政煕の娘、鷹司繋子新皇嘉門院)、繋子没後はその妹、鷹司祺子新朔平門院)。鷹司政通再従兄弟でまたは義兄である。

諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。

経歴

文化6年(1809年)、父の光格天皇の中宮欣子内親王(新清和院)の養子として立太子された。


文化14年(1817年)に即位し、父の光格上皇の意を受けて朝儀復興に尽力した。皇族公家の子弟のための教育機関の設置を志し、武家伝奏徳大寺実堅幕府との折衝を命じた。幕府の了承を得てその構想が現実のものとなった矢先、崩御した。宝算47であった。


崩御の翌年にあたる弘化4年(1847年)、天皇の遺志によって御所の建春門外に公家講学の所として学習所が設立され、孝明天皇から下賜された勅額により「学習院」(京都学習院)と名乗るようになった。1877年(明治10年)明治天皇の命によって設立された皇族・華族教育機関の学習院(今の学校法人学習院および学習院大学)の前身である。

系譜

皇后鷹司繋子(新皇嘉門院)(鷹司政煕の娘)

第一皇子:安仁親王

第一皇女:慈悲心院宮

女御:鷹司祺子(新朔平門院)(鷹司政煕の娘)、繋子妹

第四皇女:摩尼珠院宮

典侍:正親町雅子(新待賢門院)(正親町実光の娘)

第二皇子:鎔宮

第四皇子:統仁親王(孝明天皇

第六皇子:節仁親王(第十代桂宮)

第七皇女:恭宮

典侍:甘露寺妍子(甘露寺国長の娘)

第二皇女:成宮

第三皇女:淑子内親王(第十一代桂宮)

第三皇子:三宮

第五皇女:総宮

第六皇女:経宮

典侍:橋本経子(橋本実久の娘)

第七皇子:胤宮

第八皇女:親子内親王(皇女和宮

典侍:中山績子(中山愛親の娘)

掌侍:今城媋子(今城定成の娘)

第五皇子:常寂光院宮


関連項目

天皇 朝廷 和宮 学習院

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