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伏見宮邦家親王の編集履歴

2019-03-11 08:21:20 バージョン

伏見宮邦家親王

ふしみのみやくにいえしんのう

伏見宮邦家親王とは幕末から明治の皇族、伏見宮20代および22代当主。

概要

崇光天皇の男系14代子孫、幼称は陸宮(まさのみや)今上天皇の高祖父。


プロフィール

続柄伏見宮貞敬親王の第一王子
身位享和2年10月24日(1802年11月19日
死去明治5年8月5日(1872年9月7日
配偶者鷹司景子、ほか
子女山階宮晃親王伏見宮貞愛親王久邇宮朝彦親王、ほか
父親伏見宮貞敬親王
母親藤原誠子
役職式部卿

経歴

文化14年(1817年)に光格天皇の猶子となり親王宣下し、邦家と命名。同年元服し、上野太守、三品。天保6年(1835年)に鷹司政煕の娘景子と結婚。天保12年(1841年)に父貞敬親王が薨去したことで伏見宮を相続。しかし、翌年の天保13年(1842年)に第6王子陸宮(後の貞教親王)に家督を譲り隠居した。その後出家し法名は禅楽と号する。

その後元治元年(1864年)に還俗を許され、伏見宮を再び相続し邦家と名乗る、元治3年(2年とも)(1866年)に二品、式部卿に就任。

慶応3年(1867年)大政奉還のとき国事御用掛に任じられ、慶応4年(1868年)一品、明治5年(1872年)3月に家族とともに京都から東京に移住し、家督を貞愛親王に譲り、隠居した。同年8月5日に薨去。


外部リンク

伏見宮邦家親王 - Wikipedia


関連タグ

皇族 伏見宮 江戸時代

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