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伏見宮貞愛親王

ふしみのみやさだなるしんのう

伏見宮貞愛親王とは幕末から明治時代の皇族。伏見宮22代および24代当主。
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概要編集

伏見宮邦家親王の第十四王子、母は父の正室、鷹司景子


プロフィール編集

続柄伏見宮邦家親王の第一四王子
身位親王
敬称殿下
出生1858年6月9日(安政5年4月28日)
死去1923年(大正12年)2月4日
配偶者利子女王、河野千代子、增山奈越子
子女博恭王邦芳王、昭徳王、禎子女王
父親伏見宮邦家親王
母親鷹司景子
役職陸軍大将元帥、他

経歴編集

安政5年(1858年)に生まれ妙法院を相続。その後孝明天皇の猶子になる。その後同母兄貞教親王が薨去したことで還俗して伏見宮を相続。

第十四王子にも拘わらず宮家を継承したのは、貞教親王同様母が正室であったため。なお、後の旧皇室典範においては皇位継承順位を「嫡庶長幼」としたために嫡出の貞愛親王の子孫は、他のどの伏見宮系宮家の親王諸王よりも継承順位が先に置かれた(昭和22年当時の当主である曾孫の伏見宮博明王の継承順位は、大正天皇系の末位である、三笠宮家の若宮寬仁親王に次ぐ7位である)。


1864年(元治元年)に蟄居を解かれた父の邦家親王に家督を渡した。1872年(明治5年)に邦家親王が薨去し、再び伏見宮を相続。

その後親王は陸軍に入り日清戦争日露戦争に参加した。


系譜編集

父:伏見宮邦家親王

母:鷹司景子

妃:利子女王有栖川宮幟仁親王の王女)

王子:邦芳王

王子:昭徳王

女房:河野千代子

王子:博恭王華頂宮後に伏見宮

女房:增山奈越子

王女:禎子女王侯爵山内豊景夫人)


外部リンク編集

伏見宮貞愛親王 - Wikipedia


関連タグ編集

皇族 伏見宮 江戸時代 明治時代


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