概要
クラッシック音楽を中心に、様々な音楽を取り上げる。もともとは石油元売り会社の出光興産(出光)の一社スポンサー番組だったが、出光が昭和シェル石油を関連会社にしたことから、2019年4月からは出光と昭和シェル石油の2社スポンサー番組となっている(ただし2社の共用ブランド名称・「出光昭和シェル」名義)。
テレビ朝日系列24局および福井テレビ(フジテレビ系列)、北日本放送(日本テレビ系列)、山陰放送、宮崎放送、テレビ高知(以上TBS系列)、BS朝日(朝日新聞系の衛星テレビ局)にて放送されている。
1966年4月にスタートした長寿番組。ただし、番組そのものは「ヤング・ポップス・コンサート」のタイトルで、1964年8月から1966年3月まで、東京12チャンネル(現・テレビ東京)、北海道放送、毎日放送、山口放送などで放送されていた。東京12チャンネルが経営難により放送時間が短くなったこと、また当時NET(現在のテレビ朝日)がまだ専属の交響楽団を結成していなかったことからNETに移行している。また、1968年9月29日に一度打ち切られたが、1968年10月6日から1969年6月29日まで「黛敏郎の間奏曲」を放送後、1969年7月6日に再開された。
日曜朝の番組、のイメージが強かったが、東京12チャンネル時代は土曜のゴールデンタイムに組まれていた。NETに移ってからも、金曜深夜や土曜夜に放送されたこともあった。MBSに代わり朝日放送が腸捻転解消のためANNに加盟してから、この番組は再び日曜10:00-10:30に放送されるようになり、ABCが10時台の番組を担当する1980年から日曜9:00-9:30に放送されるようになった。
2017年10月にテレ朝・ABC→ABCテレビ・メ〜テレ共同制作の『サンデーLIVE!!』が始まることにより、放送日時が変更された。ほとんどが土曜の朝に放送されている(系列外5局は日曜9:00-9:30に放送されている福井テレビ以外は全て土曜朝に放送されているが、元々その放送曜日ではある)が、BS朝日では日曜深夜から日曜朝に移動した。
テレビ朝日、東日本放送、福島放送、琉球朝日放送は土曜朝10:00-10:30に放送中。それ以外の局は先行ネットもしくは遅れネットでの放送となっている。
司会
- 黛敏郎(作曲家、「ヤング・ポップス・コンサート」開始当初 - 1997年5月)
- 永六輔(作詞者・エッセイスト、1997年5月 - 同年9月、黛死去に伴い就任。公式には司会者代行扱い)
- 武田鉄矢(シンガーソングライター、1997年10月 - 2000年3月、タイトルは「新 題名のない音楽会」)
- 羽田健太郎(ピアニスト・作曲家、2000年3月 - 2007年6月、タイトルは「題名のない音楽会21」)
- 久保田直子(テレビ朝日アナウンサー、2007年6月 - 2008年3月、羽田死去に伴い就任。番組史上初かつ2017年年末の時点で唯一の女性司会だが、公式にはサブ司会者扱い。タイトルは引き続き「題名のない音楽会21」)
- 佐渡裕(指揮者、2008年4月 - 2015年9月、タイトルは「題名のない音楽会」に戻る。さらに英文表記”Untitled Concert”を併記)
- 五嶋龍(バイオリニスト、2015年10月 - 2017年3月)
- 石丸幹二(ミュージカル俳優、2017年4月 - )
司会者に関して補則
- 永と久保田は直接音楽との関わり合いのない職業に就いているが、これは新しい司会が決まるまでのピンチヒッター的な色合いがあったため。このため、テレビ朝日公式サイトでは両者とも正規の司会者にはカウントしておらず、永こそ「司会代行」として紹介している一方、久保田に関しては全く取り上げていない。なお久保田時代は「メイン司会」なるものを別に週替わりで起用しており、後に司会に就任した佐渡も実はそのひとりであった。
- 「ヤング・ポップス・コンサート」時代には歌手の九重佑三子がアシスタントを務めたほか、永以降アシスタントが付いている。原則としてテレビ朝日の女性アナウンサーが務めるが、武田後期にアシスタントを務めた加羽沢美濃はピアニストである。また、久保田は元々は羽田のアシスタントであり、佐渡に交代した後2010年3月まで再びアシスタントを務めた。
- 黛時代には、作曲家・指揮者の石丸寛(黛の友人でもあった。ちなみに永も同様)や小泉文夫(民族音楽研究者)が司会代行を務めた事がある。黛のスケジュールなどの都合による。